【コラム】山内雄司

“不安” アーセナル移籍の浅野拓磨

[ 2016年7月22日 05:30 ]

アーセナルへ移籍した浅野拓磨
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 不安だ。

 リオでの活躍も期待される日本が生んだスピードスター、浅野拓磨がアーセナルに移籍する。その決断は十分に尊重したいし、彼がプレミアの屈強なDFを切り裂き、スタジアムに歓喜を呼び込む瞬間を目の当たりにするかもしれない幸福を思えば、「でかした!」と叫びたくなる気持ちも多分にある。ただし、そうそう上手く事が運ぶと考えるほど楽天家ではない。

 アーセナルに移籍した稲本は赤地に白袖のユニホームではリーグ戦の出場機会を得られず、宮市も1試合の出場に留まっている。名門からオファーが届いたということは、それだけ才能を買われたのであろうが、そこは見出された才能がひしめきあう世界。浅野がロンドンに居続けられるかは、わずかなパーセンテージと予想される。

 無論、浅野自身もそんなことは重々承知で行くわけで、それでもプレースタイルよろしく勇猛果敢に飛び込んでいった覚悟と勇気には拍手を贈りたい。覚悟と勇気は勝負の世界に身を置く者として最重要とも言える要素であるから。ただ、「覚悟と勇気は人一倍です」と口で言ったところで何かが始まる場所でもない。才能の見極めのために与えられる時間は少ない。彼のプレースタイルを知る選手も少ない。スピードを生かそうにも、その局面が訪れるとも限らない。輝くためには光が必要だが、待っていても誰かが光源を持ってきてくれるわけではない。自らスポットライトを引きずってきてセッティングするほどの強引さと機転があるか。他人を蹴落とす非情さがあるか。人懐っこい笑顔が印象的な彼は、果たして鬼になれるだろうか。

 広島でのラストマッチとなった第2ステージ第4節の横浜戦後、セレモニーで浅野は涙ながらにサポーター、チームメート、家族への感謝を語った。もちろん、彼に関わる人々は今後もサポートを続けるだろうが、直接的な献身はできず、遠く離れた地で願うばかりとなる。責任感の強い男だ。期待に応えたいう意識は相当なものであろうが、誰のためでもなく自分の未来を切り開くために走ってほしい。そう、彼は走らなければ意味がない。ベンチや観客席、ましてやテレビ画面で試合を観るような生活は避けるべきだ。アーセナルへ飛び込むということは、レギュラーをつかむ以外は走る機会を奪われることでもある。存分に走って、ロンドンで走る機会がなければレンタル先で存分に走る。ピッチに立ってこそ磨いた武器が光を放つ。責任のすべてを自分に向けてほしい。

 不安だ。

 6月20日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦で、浅野は決定的なチャンスでパスを選択してシュートを打たなかった。
「後悔している。自分の消極的な部分が出てしまった。より確実なほうをという選択だったとしても、あれが自分の実力だと思う」

 号泣し、消沈する姿に不安を覚える。人生は選択の連続というが、サッカーは90分という限られた時間で常に選択を迫られる究極の人生ゲームと言える。結果論かもしれないが、厳しい言い方をすれば彼は選択を誤った。他人に光をかざし、責任を委ねてしまった。本人も言うとおり、それが現在の実力であろう。彼は「打たなかった」のではなく、「打てなかった」のだ。打てずに泣いた。実力、精神ともに甘さが顔を出す。

 何も泣き虫が悪いわけではない。それも彼の魅力のひとつだ。笑って泣いて、感情をストレートに出す。ただし、時として感情は選択に隙を作る。感情より先に「打つ」ことを指令する頭と、確実に伝達を具現化する肉体を手に入れたとしたら、浅野拓磨という選手の価値はさらに跳ね上がってくる。打って笑って、「実力ですよ」と言ってのけるほどの厚かましい浅野を是非とも見てみたい。

 酷い書き方をした。日本代表選手であり、アーセナルに移籍するほど才能を認められた選手に対して、一介のライターが実力不足とも受け取られる物言いをした。選択を誤り続ける人生を送ると、浅野のような挑戦も怖くてできなくなる。だからこそ、彼にはもっともっと化けてもらいたいのだ。リオでも、ロンドンでも、どこであっても。常に走り続け、挑み続け、結果をもって責任を果たし、関わるすべての人にあの笑顔を届けてほしい。

 不安だ。でもそれ以上にワクワクしている。(山内雄司=スポーツライター)

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