【コラム】山内雄司

悲観的になる必要はない 実り多いボスニア・ヘルツェゴビナ戦

[ 2016年6月10日 05:30 ]

<キリン杯 日本・ボスニア・ヘルツェゴビナ>表彰の煙が舞う中、ガックリの日本代表イレブン
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 ブルガリア戦の大勝で気が緩んだのではないか。得点直後や相手の選手交代直後の失点も集中を切らせた、すなわち気の緩みによるものと言える。

 こうした意見が挙がるのも致し方ない。しかし、例え大勝に湧き上がったとしても、幾多の経験を積んでいる選手ならば対戦相手が変われば新たなマインドでピッチに立つ心構えはできている。確かに失点はいずれもフッとポケットに陥りやすい場面ではあったが、それだけにベンチも選手も「集中」を強く意識する必要性は理解していたはずだ。では、なぜやられてしまったのか。

 ボスニア・ヘルツェゴビナから見て取れたのは、自分たちで築き上げた得点の『形』と、それを可能にする技術と理論だった。

 体格を生かしたコンタクトで球際での勝負は互角以上であると悟ったボスニアイレブンは、日本の左サイドの攻撃に手を焼きながらも、ラインを下げずに局面でも厳しい戦いを挑み続け、セカンドボールを前線へ供給しようとの意識に満ちていた。決してそれは闇雲ではなく、日本の手薄になったスペースを上手く活用していた。

 前半27分に失点した際も、慌てることはなかった。そして、好機にきっちりと自分たちの『形』に持ち込む。

 ルーズボールをモノにすると、前線に張っていたホジッチに当てる。制空権での劣勢に立たされていた吉田は跳ね返し切れない。ホジッチに競らせた後方のジュリッチはこれを拾って味方に預ける。ホジッチはその瞬間にはマーカーの吉田と間合いを広げ、視界から消えている。それだけではない。ジュリッチもまた、もうぜんと歩を進め、森重を引き離している。ボールを見ながら背走せざるを得なかった吉田、同じく森重にはヤバいと思いつつも成す術なく喰らってしまったという印象であろう。

 教科書通りと言えるかもしれないが、チャンスと見るや特長を生かした連動を繰り出すには、相当の訓練と自信が必要だ。競い合いで勝ち、相手の弱点を浮き立たせる。マーカーを離しつつボールを呼び込む。チーム力と技術力が合致した素晴らしいゴールだった。

 後半21分も同様だ。交代で右サイドに入ったばかりのステバノビッチがいきなり大仕事をする。この場面、長友が気を抜いていたかといえば、そうとは言い切れない。ステバノビッチの巧さ、彼を使ったボスニアの意図が日本を翻弄したというべきである。

 スカウティングである程度の情報は得ていたかもしれないが、いきなりの対峙で長友には相手のプレーが身をもっては分からない。それをボスニアは利用した。ステバノビッチは長友から離れるように軽くジョグした後、両者の間に出されたパスに対して一気にスピードアップし、中に切れ込んで長友の目前でこれを右足でトラップする。これが絶妙であった。長友から再び間合いを取ったステバノビッチはすかさず左足で縦方向にスルーパス。斜めに走り込んだジュリッチはダイレクトでゴールに流し込む。ジュリッチに着いていくのが精一杯の吉田は、またも天を仰ぐことになってしまった。

 意図をもって使う→最適のボールを送る→最高の処理をする→周囲も意図を理解、察知して備える→出し抜いてゴール。気の緩みで片付けてはいけない。ボスニアのチームとして、個人としての確固たる『形』に日本はやられたのだと自覚しなければならない。

 翻って日本はどれだけ『形』を見せられただろうか。

 本田、香川を欠き、浅野が初スタメンということで、コンビネーションが不足していたのは理解できるし、後半にも新たな戦力をテストできたという点では収穫もあった。宇佐見は機能したし、清武はトップ下で存在感を見せた。ただ、フィジカルの差をいかに克服するか。そのうえで日本はいかにチームとして、個人としての築き上げたものを試合に落とし込むか。それを可能にする技術と理論を提示したかと言えば、またまだ課題は多い。

 最終予選まで3か月を切った。ボスニアに敗れたからといって悲観的になる必要はない。むしろ実り多い強化になったと捉えるべきだが、といってまるで楽観視はできない。監督のPK指示を選手で変更し、自主性が出てきたと見るのも良いが、さらに一段階、二段階と厳しさをアップさせていかなくては、と思わせる大会だった。(山内雄司=スポーツライター)

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