【コラム】山内雄司

九州 皆でパスを繋いでいつか美しいゴールを

[ 2016年4月28日 05:30 ]

熊本でサッカー教室を開き、被災地の子供たちと記念撮影に納まる浦和・槙野(前列中央)と熊本・巻(右端)ら
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 九州地方を襲った大地震から約2週間が経過した。毎日のようにテレビやインターネットを通じて現地の情報がもたらされるが、まだたくさんの方々避難所や車中で不自由な毎日を過ごし、先の見えない不安にさいなまれている。一日でも早くこれらの皆さんが普通の生活を取り戻せることを祈りつつ、ほんの少しでも何かしらの役に立てたらと募金に協力させて頂いているが、こうした大災害の前でいかに自分が無力かであるかを改めて思い知らされている。

 なにかできないか。その思いがあっても、現実的にはどういった形の支援をしていけばいいのか答えはなかなか出てこない。こうした際に「絆」や「勇気」というフレーズが取り沙汰されるが、自分がどうすればそれらを与えられるのか。それほどおこがましいことなど考えてはいけないのでは、などと堂々巡りしてしまうところがある。

 テレビの世界でも、バラエティーは放送すべきなのか自粛すべきなのか、といった議論が巻き起こり、賛否両論が交わされる。そして、スポーツの世界でもそれらは常に付きまとう問題となる。選手自身も自問する。「こんな時に自分は競技をしていていいのか」「競技をしている場合ではないのではないか」と。

 ただ、東日本大震災を通じ、多くのスポーツ関係者、サッカー関係者が立ち上がって、それぞれ出来得る形で支援してきた姿を見つめ、再認識したこともある。5年前にも記したが、改めてそれを書き記しておきたい。

 『スポーツは、サッカーは(大災害や困難に際して)最も重要なことではないかもしれないが、人々の心に火を灯すことができる。だから、決して些細なことでもない』

 まさに故郷が困難に直面している選手もいる。アントラーズの植田は4月16日・湘南戦後のインタビューで、「僕にはそれ(サッカーで勇気づけること)しかないので……」と涙を流した。故郷をなんとかしたい。でも目の前にある試合に集中しなければならない。辛い90分間だったろう。でも、植田の思いは必ずや伝わると信じる。なぜなら、彼には「それしか」ではなく「それが」あるのだから。

 ロアッソはプレーが出来ない状況が続いている。現時点までに第8節から第12節までも5節分が延期処置をなっており、試合だけでなく練習も行っていない。5月2日に練習再開予定というが、それも確実ではないだろう。先頭に立って支援・救援活動に身を投じている選手やスタッフたちは「とてもサッカーどころではなかった」との実感から、選手としてというより、そこにいた人間として当然のことをしているだけと必死の毎日を送っているのだろうが、被災地に在籍する、あるいは在籍したサッカー選手として、復興への思いをプレーで表現することに大きな意義を見出すことになる。

 『ともに戦う』

 言葉にすれば短いかもしれないが、そこには一緒に汗し涙した経験や、不自由や不安を共有した力強さがある。熊本城を復興のシンボルに、という皆の思いと同様に、ロアッソもシンボルになるように、当事者だけでなく周囲も盛り立てていきたい。

 他クラブの選手たちも短いオフを利用して現地入りし、少しでも物資を、何より笑顔を届けようとしている。サッカーというチームスポーツは、与えられる役割だけをこなせばよいというものでなく、常に状況を鑑み、それに応じて自分がいかに動くかを常に問いかける競技でもある。サッカーが人の心を打つのは、競技自体のダイナミズムばかりでなく、“問いかけ”や“気づき”があり、皆の思いの共有によって大きなパワーが生まれるものだからだと思う。

 現実的には延期による日程の問題や、インフラや収益面など様々な問題を解決していかなければならないし、Jリーグも奔走中であろう。また、個人的には無力感は拭い去れないし、思いは堂々巡りする。でも、やはり信じていくしかない。サッカーしかないのではなく、サッカーだからこそ出来ることも必ずあるはずだ、と。

 皆でパスを繋いでいつか美しいゴールを決めよう。ともに戦いながら。(山内雄司=スポーツライター)

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