【コラム】山内雄司

文化の一翼を担ってきた自負や誇りを クラブW杯に見るテレビ放送

[ 2015年12月25日 05:30 ]

優勝トロフィーを触る(左から)メッシ、ネイマール、スアレス
Photo By スポニチ

 FIFAクラブワールドカップは、FCバルセロナが圧倒的な強さで3度目の優勝を果たした。決勝のリーベル・プレート戦ではメッシ、スアレス、ネイマールの“MSN”が揃い踏みし全得点に絡む活躍を見せたが、3人を活かすイニエスタやブスケッツのパスワークやポジショニング、2試合を無失点で切り抜けたマスチェラーノやピケの才気と闘志、ダニエウ・アウベスの攻め上がりのタイミングとクロス、ブラーボのビッグセーブなど、バルサの凄みを存分に堪能できる内容だった。

 各大陸のチャンピオンが集う大会であり、当然といえば当然だが、決勝に限らず見所は多かった。なかでも疲労が蓄積するなかJリーグの代表として果敢に進撃した広島の奮闘は、大いに誇らしさを感じさせてくれた。3年ぶりの日本開催となった同大会だが、やはり目の前で観戦できる幸福は何物にも代えがたい。特にこれからの日本サッカーを背負っていく若年代の選手、あるいはファンにとって、少なくない糧となるはずだ。各大陸のクラブシーンのトップに立つサッカーとはどういうものか、その頂きに立つサッカーはどういったものか。出来れば録画して繰り返し観てもらえれば、きっと何かをつかむきっかけとなるだろう。

 かくいう筆者もスタジアム観戦後は録画した試合を一度は通して、もう一度は気になる個所で一時停止させたり、繰り返したりして楽しんでいる。ただ、その作業のたびに思わざるを得ないことがある。そして、思わずつぶやいてしまう。
「もういい加減に止めにしないか」と。

 日本で同大会の放送権を一貫して取得しているのが日本テレビであり、前身のトヨタッカップ時代から本当に“お世話になっている”。特に筆者の幼少から青年期までは海外のクラブサッカーを観られる機会は非常に限られており、そんななかで日本テレビによるトヨタカップ~FIFAクラブ選手権~クラブワールドカップ中継には胸を熱くさせてもらったし、感謝するばかりである。いかに凄い大会であるか、いかに凄いクラブが集うか、いかに優れた選手が存在するか。そうした情報に噛りついていたのも事実である。

 しかし、時代は変わった。今では海外のサッカー情報をファンはリアルタイムで得ることが出来る。テレビに関しては世界中をくまなくというのは無理だが、ネットではおおよそ、かつてとは比較にならないほどの情報が溢れている。それ故にファンも急速的に詳細を知り、クラブや選手について、また競技そのものへの知識を増している。これは実に喜ぶべき変化であろう。ならば、報じる側もその変化に対応し、常に変化していく必要があるに違いない。

 2011年大会でバルサが優勝をした際、チームで喜ぶ時間を遮ってまでスタジオにメッシを呼び、タレントによるつまらない質問やおふざけに終始してしまった経緯がある。ファンはこれを不快に思い、多くの抗議が日本テレビに届いたと聞く。実際、筆者もこれには恥ずかしく、悔しい感情を抱いた。選手のみならず、あまりにファンをナメてはいないか、と。この時はタレントにも非難が集まったようだが、これはテレビ局側の企画とキャスティングにこそ問題がある。盛り上げ企画やタレントによる周知の時代は終わった。もっと深い競技への言及や専門的な意見こそが必要なのではないか。

 今大会も“お馴染みのタレントたち”が登場した。筆者は今回もタレントに文句を言うつもりはない。ただ、散々お世話になってきてなお、テレビ局には改めて言わせてもらいたい。なぜ、いつまでも変えようとしないのか。

 上から物を言うようで、何様だと言われたらひたすら謝るしかない。ただ、お世話になってきたからこそ、心苦しくとも言っておきたいのである。企画や起用の裏側に何があるかは別として、サッカー文化の一翼を担ってきた自負や誇りを、もっと大切にして、変わっていってもらいたい。「スゲー」や「オー」と感心させようとするばかりではなく、いかにその感嘆が生まれるのか、技術や背景について議論出来る方向にシフトすべきではないか。企画やタレント起用以外でもカメラワークや実況、解説面など、これまで培ってきたスキルをもっと有効に活かす場面がありそうに思えてならない。

 クラブワールドカップ後ということで、特定の局を槍玉にあげてしまったのは本当に申し訳ない。しかしながら、日本サッカーの未来のためには報道にも変化が必要ではないか。また、どのように変わっていけるかを常に念頭に置く必要があるのではないか、との自戒を込めて提言させて頂くものである。(山内雄司=スポーツライター)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る