【コラム】山内雄司

2014年日本サッカー 漢字は『責』

[ 2015年1月2日 05:30 ]

 毎年末、京都・清水寺の僧侶がうやうやしくデカい紙に書す「今年の漢字」。2014年の漢字は『税』であった。一般公募だから仕方ないのだが、実にストレートで夢も希望も見出しにくい。これが『喜』とか『明』になることを願わずにはいられない。

 さて、日本サッカーに限ると2014年はどんな漢字が当てはまるだろう。いろいろ考えるが、個人的には『責』がしっくりくるような気がする。

 Jリーグ開幕から1週間後、埼玉スタジアムでの第2節鳥栖戦において、レッズ観客席ゲート通路側に差別的な横断幕が掲げられ、第4節・清水戦はJ初となる無観客試合となった。横断幕を掲げた個人、あるいは団体が責任を負うのは当然であり、実際に団体の無期限活動停止、からその後の解散等が発表されたが、これは現場における対応をはじめに、浦和というクラブの体制そのものにこそ本質的な責任があったとみて差し支えない。その後も順次、経緯説明とともに改善策が示されたが、筆者の意見としてはまだまだどちらも不完全、不鮮明である。

 当日の経緯と同時に、差別意識の欠如、危機意識の欠如を招いたクラブとしての要因を真剣に探求し、総括してアナウンスする姿勢がまだまだ不足している。横断幕やゲートフラッグなどの掲出物、太鼓や楽器類などのいわゆる鳴り物は、カテゴリー毎、あるいはオフィシャル、アンオフィシャルの区別によって許可したり、申請制にしたり、サポーターミーティングなどを経て段階的に解決しようとする形は見えるが、そもそもそれらを自粛させる意図がもうひとつ説明されていないし、どこか論点のすり替えというか、「臭いものに蓋」のような印象を受けてしまう。本来、応援のスタイルは自由であるべきもので、不自由を強いるのが解決への近道なのか分からない。サポーターは責任を負った。クラブがどこまで明確に負えるか。今後にも続く課題である。

 また、早々と監督の契約延長を発表し、再び失速して優勝を逃した責任もどう考えているのか。監督とその息子たちばかりが守られ、生え抜きや若い選手は機会を与えられないままに移籍を繰り返される状況にも、強化としての責任が見えてこない。

 Jリーグも然り。2ステージ制への移行はいかにもファンやサポーターを無視するものだった。初めに実施ありきで方式は後付け。曖昧な説明に終始し、ほとんど議論の余地はなかった。あまりに分かりづらい方式を押し付けて観る側に不自由を強いている。これで成果が出なければクラブの努力不足とみなされるのか。責任の所在はどこにある?

 協会もまた、責務を果たしたと言い切れるだろうか。原博実専務理事はワールドカップブラジル大会惨敗の総括は十二分に果たしており、各カテゴリーにテクニカルレポートは行き届いていると語るが、多くのファンはそれらが成されているとは実感できていない。これでは、ザッケローニ監督だけに責任を押し付けて、自分は責任を取らずに昇進し……と多くの人が受け取るのも無理はない。さらには今回のアギーレ監督の問題も、確かにまだ解任の時期とは言い難いが、そうならざるを得ない事態に陥った時に、また言い訳めいたことを言うのではないか、自身の責任をどう考えているのかと、ファンは疑心に満ちていることだろう。

 文句を言いたいばかりではない。ただ、日本サッカーにおいて様々な『責』が表出した2014年を過ぎ去ったことにするのではなく、新たな時代への戒めとしなければ、『喜』や『明』は来ないであろう。もっと厳しさ、責務の徹底が必要とされる。(山内雄司=スポーツライター)

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