【コラム】山内雄司

アジア杯に求めるもの 結果重視か、内容重視か?

[ 2014年11月21日 05:30 ]

<日本・オーストラリア>後半16分、先制ゴールを決めた今野(中央下)はイレブンから手荒い祝福に悶絶
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 最強のライバルであるオーストラリアに勝った。開始早々から相手の厳しいプレスの前に後手に回ったものの、4-3-3から4-2-3-1への布陣変更で防御し、後半からは今野の投入で完全に試合を自分たちのものとした。この結果に対して無理矢理に否定的になるつもりはない。勝利を目指して戦う以上、上手くいかない状況を試合の中で修正し、好転させていくのはあるべき姿であり、それが出来たという点で選手たちも指揮官も一定の手応えを感じている。最後にもっとも警戒すべきケーヒルに得点を許したことも、重要な課題を突き付けられたという見方をすれば、アジアカップを前に“為になる”必要な失点だったと捉えられる。「一歩前に進めているのではないかと思います」と本田が言うように、彼ら自身がポジティブに歩もうとするのを腐すこともない。

 ただ、客観的に見れば明確な前進があるとは言い切れない。縦への推進力が売りだったチームから、ポゼッションと連動性を意図するチームへの転換を図ったばかりのオーストラリアに、日本は開始の笛からサッカーをさせてもらえなかった。この時間帯をしのぎ切ったのは大きかったが、親善試合でなかったら取り返しのつかない事態に陥っていた可能性もある。オーストラリアのポステゴグルー監督は何度も「ディテールに難があった」と語ったが、これは決して負け惜しみや言い訳ではない。抜け目ないケーヒルがスタメンでなかったのも日本としては幸いだった。

 勝利優先の2試合を勝ってアジア大会に臨める。これはメンタル面でも大切なポイントであるが、何とか戦えるだけの形には持っていけそうだと胸を撫で下ろすよりも、今はさらなる危機感を前面に出さなければならないと考える。

 アギーレ監督は大胆な選手選考から体制をスタートさせたが、テストで合格点を与えられた新戦力はほとんどいない。数少ない合格者の代表格である武藤や柴崎にしても、まだまだ計算できるレベルにまでは到達していない。勝たなければならない試合を前にして遠藤、今野、内田が呼び戻され、ザッケローニ体制とほぼ同じ顔触れとなったのは、深刻な人材の不足を物語っている。アギーレ監督の大胆なテスト選抜は、「自分も日の丸を背負うことができる。門戸は開いている」と国内組にも発奮材料にはなったはずだが、いざとなればベテランに頼らざるを得ない実情に、指揮官自身もジレンマを感じているのではないか。もっと大胆にチーム作りを進めたいが、それには圧倒的にコマが足りない。そうした状況での“リアリズム”への傾倒で、本当に日本はブラジルワールドカップでの惨敗から立ち直り、世界と堂々と対峙するまでに登っていけるのだろうか。

 ベテラン起用が悪いというわけではない。いるべき選手に年齢は関係ない。しかしながら、新たな個性の台頭による競争の激化なくしてチームの飛躍もない。前監督体制とほぼ変わらぬ顔触れで、選手が慣れている布陣でアジアカップを勝ち取ったとしても、そこで仮に協会関係者が「良かった。やれやれ」と安堵でもしようものなら未来はない。好成績であればこそ、寧ろそこに潜む危うさを感じる必要性がある。

 若手が思うように育っていないとしたら、これはJリーグの問題でもある。先日、来季もU-22選抜のJ3参戦を発表したが、これがどれほどの成果を挙げているのか。これに代わる強化方式はないのか。また、2ステージ制は選手強化という点でメリット、デメリットはどこまで考慮されているのか。空洞化に対する対策は採られているのか。優れた人材の『出現待ち』から『生み出す』ための努力はいかなるもので、どれだけの効力を発揮しているのかも、もっと活発に、オープンにアナウンスするべきだ。

 ブラジルでの屈辱から必死に這い上がろうとする選手たちがいる。また、夢見る舞台であるロシアを懸命に目指す若い選手たちもいる。ピッチで戦う彼らを、ピッチ外の人間が彼らと同等の、いやそれ以上の危機感を持ってバックアップできるか。もう曖昧なままの責任所在も、言い訳も通用しない。興行重視の温い試合も要らない。そんな厳しい環境にしなければ、教訓もヘッタクレもあったものではない。

 アギーレ監督率いる日本代表がアジアカップでどう戦うか。それはもちろん重要だが、未だに強化としてアジアカップの命題がハッキリと示されていないのも気になる。絶対連覇なのか、内容重視なのか。協会は指揮官に何を求めているのか。それを明らかにしたうえで臨むべきだと思う。選手だけでなく、日本サッカー全体で一歩前へ進むために。(山内雄司=スポーツライター)

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