【コラム】山内雄司

覇権を争う試合

[ 2014年9月21日 05:30 ]

<日本―イラク>後半、相手を厳しくマークする室屋(右)
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 「覇権を争う試合になる」

 リオデジャネイロ五輪を目指すU-21日本代表の指揮官は、イラクとの一戦を前にこう語っていた。過去2戦していずれも敗れている相手に、これ以上の優位性を与えるわけにはいかない。何より、この壁を越えなければその先にある世界は見えてこない。指揮官が意気込みは当然であり、敢えてそう口にすることで選手たちの闘争心に火を点ける意味合いもあったのだろう。だが、結果的には実に虚しい言葉となってしまった。

 イラクは23歳以下という構成のうえ、オーバーエージも活用した。しかし、それを差し引いても日本の戦いは稚拙だった。ミスから簡単に得点を献上し、自分たちで試合を難しくした。大勝した初戦と異なる布陣も自らの首を絞めることになった。4-3-3は3-4-3や4-2-3-1と比べると中盤の人数が立ち位置の上では少なく、それだけ自由度も高いが、人もボールもより意識的に動かしていかなければ、それぞれが孤立気味となる。どこで奪い、どう運ぶか。相手に使われることなく、自分たちの攻略するスペースをどのように作り出すか。チームとしてもポイントが共有されていないように見えた。

 相手があることだからそうそうは上手くはいかない。それがサッカーというものだ。ただ、だからこそリズムを紡ぎ、上手くいかない点を試合の中で是正していくアクションが必要となる。ピッチに立つ選手には、どこへどう動いてもよいという“特権”が与えられており、動き次第で相手の勢いを削ぎ、上手くいくシーンを作り出すことができる。当然、相手もそれをしてこようとするから厄介だが、それ故に相手を出し抜くアクション――もしくはチャレンジと言ってもいい――が重要だ。

 チームとしてのポイントとは別に、個人の思い切ったアタックも見たかった。どこかバランスに気を遣うあまり、各選手ともこじんまりとした印象だ。ドリブルひとつでフリーの選手やスペースを生み出すことができる。ミドルシュートひとつでラインを下げることができる。失敗しても出来ることを次々と繰り出す姿勢が欲しい。

 姿勢といえば、もっと根本的なことに触れたい。結局は精神論かい、と一笑に付されるかもしれないが、これは極めて重要なことだと考える。

 覇権を争うわりに、その気概、気骨があまり伝わってこないのだ。一所懸命なのはもちろんだが、ではここは絶対に引けない、どんなことがあっても相手を駆逐するという気迫あふれるプレーが幾つあったか。球際で相手を凌駕する激しさを見せたか、ボールに食らいついていったか、走り負けない足はあったか、どんな体勢でも押し込んでやるという気迫があったか。

 メッシやクリスティアーノ・ロナウドがいるわけではない。ワールドカップブラジル大会でハードワークの実効性を確認したばかりではないか。相手が嫌がるほど走り、奪い合い、押し込んでいく。自分たちのサッカーというほど何も築き上げていないのを自覚するべきだ。基本的な部分で負けていながら、「崩されてはいない」「シュートが決まっていれば」などと自分を可愛がってはいけない。日本は負けるべくして負けた。国を背負う想いをもっと表現してくれていたら、「稚拙」などという言葉を使わずに済んだのだが。

 とはいえ、彼らだけがそうなのではない。自分も含めて、日本のサッカーを取り巻く環境もまた、稚拙と言えるのではないか。メディアはわずかな検証とちっぽけな自省の後に、ブラジルでの失望などまるで遠い昔かのように、アギーレジャパンはどうなる、にスライドしている。日本サッカー協会は4年もの長い月日と莫大な金額をかけたプロジェクトが失敗に終わったのに、相変わらずトップは責任を取る気配を見せない。結果は前監督のせいで、前々から声をかけていたアギーレに就任してもらって一件落着という空気は、絶対に容認できない。いったい幾度の立ち直る機会を無駄にしてきたのか。稚拙という批判は、自分たちにも向けなければならない。国を背負う気概、気骨がないのは、私たち自身ではないのか。

 おそらくイラクはもう日本を強敵とは思っていないだろう。決勝で借りを返せばいい?そんな甘い考えなら日本はそこへ辿り着けないはずだ。多くの人が勝つだろうと考えている21日のネパール戦。しかし、闘わない者に残酷な結果が待ち受けるのも、サッカーというスポーツの怖さである。走る、寄せる、奪う、決める。魂を見せて欲しい。(山内雄司スポーツライター)

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