【コラム】山内雄司

誇りに満ちた熱いチャレンジ…は見られなかった

[ 2014年6月28日 05:30 ]

4点目を許し、沈む大迫(左から2人目)ら日本ベンチ
Photo By 共同

 「これが実力」「力不足」「未熟すぎた」「責任を感じている」「申し訳ない」

 攻撃的なスタイルを標榜しながら3試合で2つのゴールを奪ったに過ぎず、6点をぶち込まれてグループ最下位での敗退。言い訳のしようもない惨敗に、選手たちは色を失った顔で絞り出す。4年の旅路の果て、結果がすべての大舞台で日本代表は大失態を犯した。その事実はもう変えられない。大いなる期待を担ったザックジャパンは、およそインパクトを残せず、代わりに深い失望を残して終焉の時を迎えてしまった。

 なぜこんなことになったのか。その要因、原因の検証は重要である。すでに多くの媒体で多様の意見が交わされており、そこには厳しいワードが並ぶ。指揮官の迷走、決定力不足、井の中の蛙、脆弱なメンタル、メディアの敗北、自分たちのサッカーとは……。

 おそらくはそのいずれもが要因であろうし、日本サッカーの歩みを止めないため、あるいは再び未来へ歩みだすために論じていかなければならない題材である。この結果が指し示すことは何か、何が必要で何が不要かを真摯に突き詰め、今度こそ実践していくことこそ、敗れた私たちに課せられた使命ではないか。

 と、格好つけたことを書いてみても、正直に白状すると私自身も頭の整理がついていない。どうしてもある疑問が脳内を占拠してしまう。

 「どうしてもっと戦わなかったのか?」

 およそ漠然とした疑問で我ながら情けない。「えっ、精神論かよ」と言われるのも無理からぬことだろう。ワールドカップが精神論で何とかなる舞台でないことも承知したうえで、しかしながら勝負事の大前提である戦う姿勢の欠如を、どうしても見逃すことができないのだ。

 選手たちはブラジル行きを目指して試合にトレーニングに明け暮れ、激しい競争を勝ち抜いてメンバー入りを果たした。ブラジルに行っても試合に出られるとは限らない。純然たるサブという立場でも、ピッチに立つ準備は怠らなかったはずだ。国を背負い、それを意気に感じ、ただひたすらに勝利のために、現状の自分のすべてをプレーに注ぎ込む。今となっては過信と断罪もできるが、そうした決意があればこそ、自分たちを信じて敢えて大きな目標を口にしたのではないのか。ブラジルで大暴れしたい、強い日本を見せたい、何より勝ちたい、俺はやる、憧れの地で夢を叶えるんだ!

 当然ながら相手がいることであり、チームの戦術を遂行しなければならないし、自分勝手な振る舞いはできない。それでも、スピリットを押し出すことはひいてはチームのため、勝利のためのファクターとなり得る。何も形相を作れというわけではない。荒々しくしろというわけでもない。十分に戦う覚悟を抱いて挑んだのなら、それをもっと表現できたのではないか、と問いたい。

 コートジボワール戦は首尾よく先制した。この試合の重要性は選手もチームも認識していたはず。しかしエンジンはかからない。全体的に動きは鈍く、身体も重そうに見えた。圧力に屈してミスを併発させ、守備に追われて疲弊し、対策を練っていたであろうクロスに対して外も中も付き切れなかった。気合で何とかなるものではないが、何としてでも上げさせない、打たれないファイトが不足していた。運動量も足らず、切り替えも遅い。待ちに待って意気込んだ初戦にしては、選手個々もチームとしてもキレを欠いた。とてもじゃないがサムライの戦(いくさ)とは言い難かった。

 私はまずコンディション不良を疑った。調整が上手くいかなかったのか、このあたりの検証もこれから必要とされるが、敗退後の総括でザッケローニ監督は同様の質問に対して正直にこう答えている。

 「調整の失敗なら第3戦でここまで動けていない。メンタルの問題なのか真相は分からない。初戦で精彩を欠いたのは意外だった。この疑問は胸につかえたままだ」

 いきなり苦境に立たされた日本は、第2戦のギリシャ戦でも戦わなかった。優勢に進める時間も多かったが、10人となってさらに守備的となった相手をついに崩せなかった。もっと仕掛ける、スペースをこじ開ける動きが必要なのに、どこか淡々と工夫なくハイクロスを入れるばかり。シュートにもどうしてもねじ込もうという意識が見えなかった。勝てる試合だっただけに自滅の印象が強い。ガムシャラさ、泥臭さが見えなかった。

 あと1メートル、あと50センチでもいい。間合いを詰めれば防げることがある。ピンチを察知したら時には身体を投げ出しても防ぎきらなければなるまい。各上相手にはなおさら身体を張り続ける、走り勝つ体力、そして果敢に挑む勇気がいる。コロンビア戦はどうだったか。

 2失点目、複数でボールホルダーを取り囲みながら誰もあと一歩を踏み出さず、ぶち当たらない。まるでラクビーのライン攻撃のように横へとつながれ奇跡を遠ざけるゴールを奪われた。3失点目、カウンターに対して縦パスを誘い出したのに川島は飛び出さない。大久保はド決定機でシュートを打ち上げた。身体のどこに当てようが押し込む。それが点取り屋じゃないのか。ペナルティエリアまで運びながらあまりに仕掛けない。柿谷が猛然とドリブルを仕掛けたようなシーンが数多くあれば、コロンビアも対処に苦慮しただろう。こぼれ球への反応も遅い。肝心なところでゴール前に入っていかない。無論、必死にプレーしていたのは分かっている。それでも、夢に見た舞台で極限まで魂を焦がして“戦って”欲しかった。

 ブラジルまで謝りに来たのか。誰もそんな姿を観たかったのではない。『自分たちのサッカー』ができればそれに越したことはない。だが、例えできなくとも、それを具現化するための誇りに満ちた熱いチャレンジを観たかった。その結果が勝利であれば言うに及ばず、例え本人たちが口にした優勝やベスト4進出が叶わなくても、日本サッカーの確かな前進を確認できただろう。それが残念でならない。

 日本代表は弱かった。その弱さを実力不足に求める以前に、まるで意気地がなかった。それが何より許し難く、悲しい。最後の最後で信念にブレを生じさせ、不可思議な采配を繰り返した指揮官を含め、チームは『自分たちのサッカー』の呪縛に自ら縛られ、根柢の根底である「戦うこと」を疎かにした。奇跡は信じる者にしか訪れない。真理である。でも、信じるだけでも訪れない。不格好でも貪欲なまでにひとつひとつのプレーに、目の前の相手に、ひとつのゴールに執着することから始めなければ、奇跡の呼び水にもならない。
もう大口は要らない。黙して原点に立ち返ること。しっかりとした検証による強化策の見直しと並行して、いついかなる状況でもとことんまで戦い抜く気概ある人材を数多く育てていく必要がある。それが収穫に乏しかった失意の3戦ではっきりしたことではなかろうか。

 やがてロシアに向けた新たな4年が始まる。現実を直視し、そろそろ頭を整理しなければならない。4年の重みも2分で崩れるワールドカップの怖さを知った。それでも勇気を出して挑戦していかなければ日本の未来はない。戦おう。謙虚に真摯に、覚悟を決めて。(山内雄司=スポーツライター)

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