【コラム】山内雄司

ファーガソン後継は誰であれ難儀な仕事 モイーズに幸あれ

[ 2014年4月27日 05:30 ]

4月20日古巣エバートン戦を最後に解任されたマンチェスターUのモイーズ前監督
Photo By AP

 マンチェスター・ユナイテッドが“ついに”デイビッド・モイーズの監督職を解いた。世界中のファンの大多数はこのクラブの決定を喜んだことだろう。1年にも満たない期間でこれほどまでに成績はおろか、クラブの権威まで失墜させた指揮官に、来季以降もチームを託すという選択は下し難かったに違いない。モイーズ本人も監督という職業について理解しているはずで、この決定に関して異論を挟む立場にはない。

 しかしながらいつも思うのは、なんという因果な商売だろうということ。常に世間の目に晒され、勝てばもてはやされる一方、失敗すれば罵詈雑言を浴びせかけられる。思い出されるのは、かつてJリーグの地方都市の監督を務めた人物の言動だ。本人の名誉のために名は伏せさせてもらうが、成績不振で厳しい批判の末に解任された彼は、後に寂しそうな悔しそうな顔で打ち明けてくれた。

 「外食するのもわざわざ郊外に車で行ってた。なに飯なんか食ってるんだって言われちゃうから。でも俺はいいんだよ。家族がね。やっぱり少しは言われてたみたい。特に子供がね」

 話をモイーズに戻すと、彼の仕事は結果が物語っているように、明らかに失敗の烙印を押されて然るべきものだった。サイドからのクロスに固執し、メンバーの特性を活かせない悪い意味での頑固で、アクションに欠けるサッカーは、ファンからダメ出しを食らった。その他、現場の指揮官としての不足は散々語られているので、ここで繰り返すのも憚られる。悲しいかな、クラブ史上でも有数の愚将として、ファンの記憶に残るだろう。

 ただ、もっとも責任を負うべきは当然ながらクラブである。27年間にも及ぶファーガソンによる長期政権の後を引き継ぐのは、誰であれ難儀な仕事となる。クラブはそれをどこまで突き詰めて、モイーズに託したのか。

 緑のピッチはしばしばキャンバスに例えられ、そこに彩りを加え、人々に芸術性を知らしめるのは確かに選手だが、構図を決め、絵の具を混ぜ、下絵を書くのは監督である。クラブはモイーズという画家がどんな構図で描き、優れた作品を生み出せる可能性がどこまであるかを知った上で赤い筆を握らせたはずである。では、新しいアトリエやパレット、筆など、どこまで本人の希望に近いものを用意したのか。下絵はあるし、27年使ったアトリエもあるのだから良いでしょう、という部分が少なからずあったとしたら、プレッシャーになるばかりで、新しい作品は生まれてこない。

 見込み違いだった、二流の画家だった、との言い訳も出来そうだが、どこまでモイーズをフォローする態勢を作り上げていたのか。難儀な仕事だからこそ6年という契約を結んだのだろうが、そのすべてを個人の腕のせいにするのは無理がある。どんなに優れた画家でも、「ほら、早く描きなさい」と言われて才能を迸らせることが出来るかは疑問だ。

 辛抱に辛抱を重ねた上での苦渋の決断は理解出来る。ただ、莫大な無駄遣いをしてブランドを下落させたのは、クラブそのものが負うべき責である。ここから這い上がるには『今度は良い監督を連れてこよう』という次元にとどまらず、抜本的な態勢の改革と綿密な再建プラン、余程の覚悟が必要とされるだろう。名門の底力に世界中の注目が集まる。

 今後の話になった際、先程までの暗い顔を一変させ、元Jリーグ監督は言い切った。
「たしかに俺はこっぴどく失敗した。そりゃ酷く落ち込んだし、傷ついた。でもね、再び声が掛かるようにもっとサッカー勉強して、またやりたいよ。それだけの仕事だもの、監督は!」

 深く傷ついたはずのモイーズも、どんなに働く必要もない大金を手にしたところで、きっと、いや必ずピッチに戻ってくるに違いない。

 マンチェスター・ユナイテッド、そしてモイーズに幸あれ。(山内雄司=スポーツライター)

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