【コラム】山内雄司

同じ轍を踏んでしまった 浦和に足りない 勝利に徹するマネジメント

[ 2013年4月12日 06:00 ]

<浦和・全北>肩を落としあいさつする浦和イレブン
Photo By 共同

 ACL1次リーグ第4戦、敵地に乗り込んだ浦和は前半早々に2点をリードするも、後半は全北現代(韓国)のロングボールによる“力業”に屈する形となってしまった。1点を返され、しかし何とか逃げ切りに成功するかと思われた後半のロスタイムに同点弾を許す。勝点3と1では雲泥の差。同グループのもう1試合において広州恒大(中国)がムアントン(タイ)を破って抜け出したため、浦和のグループリーグ突破に黄信号が点灯した。

 3日に行われたホームゲームでも開始早々に先制するも、後半一気に3ゴールを許している。結果論ではあるが、同じ轍を踏んでしまったと言っていい。試合後、ペトロヴィッチ監督は語った。

 「90分間を通じて今日のような戦いができたのは良かった。全北現代はこの前も、そして今日も崩さずに得点したが、我々は何度も崩した形の決定的な場面を作った。でも、2試合で3得点しかできなかった。それもサッカーだと思う」

 もちろん、メディア対応用のコメントであり、監督自身は誠実に答えつつも、そこに大した意味を見出してはいないかもしれない。ただ、敗軍の将の弁としてはちょっと不用意なものに思える。なぜなら、“崩す”ことを競っているわけでなく、勝利こそ最大の目的であり、それを達成できなかったのを「それもサッカー」で誤魔化してしまっているからだ。

 全北現代は勝つためのサッカーに徹した。ロングボールでセカンドボールの競い合いに持ち込む。そこで奪えなくてもFKがもらえれば良い。浦和が判定に不満を持つなら、それも有利に働くだろう。これを続けている限り、自分たちの流れになる。そんな意思が感じられた。すなわち、端から崩すという手段を採らずに勝負していたのである。だから「崩さずに得点したが、我々は……」などと比較している場合でなく、「してやられた」としっかり認識しなければならない。

 確かに浦和が決定的な場面を決めていたら勝負はどう転がったか分からない。だが、崩してないものでの決定機は全北現代も少なくなかった。得点できないなら、勝利のために別のプラン、例えば繋ぐにしても崩すためでなく、落ち着かせるため、あるいは時間と陣形を整えるためのセーフティな手段として、という使い方もある。交代や交代に伴う選手の配置も変化があってもいい。ロングボールの対処に負われるなかで、フォーメーションにこだわる必要も希薄に思えた。

 ペトロヴィッチ監督の理想や志向、チームが目指す方向性は間違っていないし、選手もそれを理解しているからこそ、黄信号が点灯しても、試合後には前向きな発言が相次いだ。しかしながら、「自分たちのサッカーをすれば」と同時に、「たとえ自分たちのサッカーができなくても」、その先にあるのは「それもサッカー」という誤魔化しではなく、勝利に徹するマネジメントではなかろうか。

 本当に悔しかった。同じ相手に一度ならず二度までも。突破はどうあれ、グループリーグ残る2戦は非情なまでに勝負に徹する浦和であって欲しい。(山内雄司=スポーツライター)

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