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【コラム】西部謙司

2つ前から継承する日本代表

[ 2014年9月12日 05:30 ]

<日本代表練習>ビブスを着て練習する(左から)本田、水本、田中、大迫、武藤、柴崎、扇原、細貝、吉田
Photo By スポニチ

 スタートしたアギーレ新監督のチームは、戦術も選手もザッケローニ前監督時代から変わった。新しい監督が来て変化があるのは当然だが、日本代表の興味深い傾向として、1つ前のチームは無視して、2つ前から始めるということに気がついた。

 日本の新監督は、必ず前監督の「否定」から入る。監督自身は前任者については語らないのがマナーであり、アギーレもザッケローニについて何も話していない。ただ、新たな方針は必ずといっていいほど前任者とは反対になる。まあ、メディアがそれを強調しているだけなのかもしれないが。

 アギーレ監督が重視している「守備」は前任者のチームの弱点だった。ザッケローニ前監督の攻撃偏重ともいえるスタイルは、その前の岡田監督がW杯で用いた守備に重心を置いたやり方とは真逆。病気で退任したオシム監督を引き継いだ岡田監督には、「オシムの継承」という無理難題が押しつけられたが、途中で「オレのやり方でやる」と開き直っているのでやはり前任者のやり方は継承されていない。

 もっと前までさかのぼると、協会自体が前任者の否定から後任を選ぶ、または選んだ理由として説明していた。オフト監督が土壇場の“ドーハの悲劇”によって敗れると「修羅場をくぐっている人物」としてファルカンを招へい、ファルカンの次は「コミュニケーションがとれる」という理由で加茂だった。まず、この時点でオフト招へいの理由だった「外国人のプロ監督」という理由が飛んでいるし、「修羅場」うんぬんも忘れている。

 そして加茂→岡田の日本人監督の後は「世界を知っている」でトルシエ。外国人だとコミュニケーションに難があるという問題はどうでもよかったようだ。その都度前任者の欠点を補う人選にはなっているが、その前の反省はなかったことになっているわけだ。

 オサスナ時代の4-1-4-1でスタートしたアギーレ新体制は、ザッケローニ時代を長所も短所もご破算にして始めているが、出発点はW杯南アフリカ大会での岡田監督時代にはつながる。ザッケローニの日本の長所を最大限尊重したやり方は、W杯前の岡田監督の方針や「日本化」の文脈でオシム時代に重なる。

 わざわざ2歩下がってから始めるのも悪くないが、こうなっているのは技術委員会が機能していないからだろう。毎回、総括をいい加減にして次を急ぐだけの体質がこうした無駄を生んでいるのではないか。(西部謙司=スポーツライター)

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