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【コラム】西部謙司

サッカーと体罰

[ 2013年2月22日 06:00 ]

 かつてパリ・サンジェルマンのユースチームを取材したとき、ブラジルから来ている選手がいた。彼はファベイラの出身で、パリに来るまで正規の広さのピッチでプレーしたことがなかったそうだ。地元のミニサッカー大会で活躍しているのをスカウトが発見した。スカウトはこう言って説得したそうだ。「パリに行ってプロを目指すか、それともここにいて麻薬の運び屋になるのか」。

 サッカーはグローバルなスポーツなので、ユース年代から競争は世界規模で行われている。若年層の海外クラブへの移籍については制限する方向ではあるけれども、バルセロナの育成チームには日本人も韓国人もカメルーン人もいる。当然、競争はとても厳しい。

 パリ・サンジェルマンには専任の教師がいた。選手寮に通勤して勉強を教えていた。ユース年代は学業も修めなくてはならない。プロに昇格できるのは一部の選手だけなので、サッカーだけをしていればいいわけではない。スポーツと学業の両立が求められるのは、日本でもヨーロッパでも同じである。日本は学校でスポーツを行い、ヨーロッパではスポーツクラブで勉強を教える。立ち位置に違いはあるものの目指すところは近い。

 しかし、ヨーロッパのクラブチームで「体罰」が問題になったという話を聞いたことがない。

 体罰以外の難しい問題はある。子供ができたとか、麻薬やアルコール、ケンカなど、コーチはいろいろな相談を受ける。ただ体罰は聞かない。そもそも選手を殴ってでも鍛えようという気が指導者側にない。大きなクラブになるほどプレーしたい選手はいくらでもいるので、選手を育てるよりも競争させて入れ替えたいのだ。親身にはなるけれども、クラブが要求する水準に達しなければサヨウナラである。

 日本の指導者の中には、ときには体罰が必要だという人もいる。非行に走る生徒をスポーツを通じて更正させるには、生徒と格闘するぐらいの覚悟がいるという。ただ、競技面の向上に体罰が役に立つとは思えない。教育面でそれが必要かどうかはわからないが、 少なくともサッカーの競技面で体罰は不要だ。それが有効なら、もう世界中でやっていると思う。いいことではないが、合法違法を問わずドラッグが使用されてきたのは周知のとおり。殴って強くなるなら欧米人だからといってやらないはずがない。

 クラブスポーツの強みは「競争」にある。日本の学校スポーツにも競争はあるけれども、その競技面での厳しさは比ではない。ある日、アルゼンチンからメッシという14歳の天才少年がやって来たら、確実にポジションは1つなくなるわけだ。体罰でどうにかなるような世界ではない。(西部謙司=スポーツライター)

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