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【コラム】金子達仁

協会に問いたい 安全第一サッカーをどう見ているのか

[ 2016年10月13日 18:00 ]

W杯アジア最終予選 ( 2016年10月11日    オーストラリア・メルボルン )

<日本・オーストラリア>PKの判定に不満げな様子のハリルホジッチ監督
Photo By 共同

 まずは、明るい面に目を向けてみようか。

 この予選に入ってずっと出来の悪かった長谷部が、ようやく本来の調子を取り戻していた。先制点の起点になれたことで気をよくした面もあったのだろうが、効果的なタイミングで効果的な位置にボールを運ぶ彼の特徴が、これまで低調だった日本の攻撃陣に活気を取り戻させていた。今後のことを考えても、この復調が持つ意味は大きい。

 MVPを選ぶとしたら、左サイドバックに入った槙野か。ポゼッションを重視し、かつ途中からはカーヒルの高さを投入してくる可能性が高い相手と戦う上で、サイドをいかに封じるかは日本にとっての最大のカギ。槙野は、同サイドの原口とうまく連動しつつ、自分のエリアで築かれようとする攻撃の芽をことごとく摘んだ。前半、オーストラリアの攻めが信じられないほど低調だったのは、槙野ら、サイドをつぶす日本の戦略がズバリとハマったからだった。

 原口のゴールも見事だった。1対1の場面での落ち着きは、得点を量産しているアタッカーにしか醸しだせないもの。極めて重要なゴールだったにもかかわらず、感情を十分にコントロールしたガッツポーズしか出なかったのは、あの得点が本人にとって少しも驚きではなかったということだろう。

 あのPKに関しては、仕方がなかったというしかない。というより、原口があのエリアでも守備を怠らなかったからこそ、オーストラリアは攻撃の糸口をつかめずに苦しんだのである。日本からすれば、覚悟しておかなければならない“副作用”だったと言える。

 さて、敵地でオーストラリアと引き分けというのは、悪い結果ではない。だが、例によって試合後の余韻はあまり芳しいものではない。先週のイラク戦に比べればずいぶんと収穫もあった試合なのだが――。

 試合後、ちょっと思ったことがある。

 1点を奪ったあと徹底的に守りを固めるサッカーを、多くのスペイン人は退屈だとして忌み嫌う。一方、1点を奪ったにもかかわらず、さらなる得点を求めて失点を喫するサッカーが、理解できないイタリア人は少なくない。どちらが正しく、どちらが間違っているということではないが、どちらかが歩み寄ることもない。

 この日、ハリルホジッチ監督は決して俊足ではない本田を1トップで孤立させたままプレーさせた。終盤には、最大の武器でもあった原口に代え守備の色合いの強い丸山を投入した。

 点を取るため、ではなく、取られないためにサイドの人間に強い守備の意識を持たせる。アウェーでの終盤戦はリスクではなく安全を取る。否定はしない。だが、これが日本人の嗜好(しこう)に合うサッカーなのだろうか。

 いま一番知りたいのは、ザッケローニを評価し、アギーレを招聘(しょうへい)した協会の人々は、ハリルホジッチのサッカーをどう見ているのか、ということである。わたしには、まったく別物に思えるのだが。(金子達仁氏=スポーツライター)

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