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【コラム】金子達仁

これほどまでに腹立たしく、また失望させられた3―0は記憶にない

[ 2015年9月5日 05:30 ]

<日本・カンボジア>試合後、スタンドのファンに手を振る西川(12)
Photo By スポニチ

W杯アジア2次予選E組 日本3―0カンボジア
(9月3日 埼玉)
 時に会場で、時にテレビで、ずいぶんと長く日本代表の試合を見てきたが、これほどまでに腹立たしく、また失望させられた3―0は記憶にない。少なくとも、この日のわたしのボキャブラリーの中からはどうやったって「ブラボー!」などという単語は出てこない。

 20世紀後半、日本のサッカーについて回った悪評の一つに「ステレオタイプ」というものがあった。融通のなさ、臨機応変の欠如などを揶揄(やゆ)する言葉である。

 あれからずいぶんと時間がたち、日本選手の多くは海外でプレーするようにもなった。にもかかわらず、この日の日本がやったサッカーは、まさしく「ステレオタイプ」だった。

 カンボジアが頑張ったのは事実である。いや、その勇敢な戦いぶりはまさしく称賛に値する。だが、彼らはプロだったのか?海千山千の古強者(ふるつわもの)だったのか?残念ながら、そうではない。

 ところが、経験でも収入でもはるかに上の立場にある日本選手の多くは、若く未熟なカンボジアの選手たちを、まるで普段欧州で戦っているのと同レベルの相手であるかのように扱った。相手が近寄ってくれば無理せずボールを離し、ドリブルで対峙(たいじ)する時は世界最高峰のDFに立ち向かう時のように慎重だった。

 日本が世界最高のチームと戦うとき、もっとも恐れているのは何か。チームプレー?パスワーク?違う。圧倒的な個の力である。カンボジアとて同じ。個人でガンガン仕掛けられれば、彼らはひとたまりもなく崩壊していただろう。だが、ほとんどの選手は教科書通りにプレーし、教科書+闘志で守るカンボジアに手を焼いた。

 日本にとって幸いだったのは、たとえば吉田のように、いつもよりもアグレッシブなポジショニングとプレーを心がけた選手がいた、ということだった。

 選手も情けなかったが、監督には心底失望させられた。どうやら、先のシンガポール戦での引き分けによって、彼の中での日本の評価、地位は暴落してしまったらしい。FIFAランク180位台のチームを相手にベストメンバーを組み、誰一人新戦力を試そうとしなかったのは、カンボジアにある程度の脅威を感じていたからなのだろう。

 遠いところへたどりつくためには、高い志が必要だとわたしは思う。そして、およそ高い志を持つ指導者ならばやらないことを、ここ最近の彼はやり、この日もまたやった。ただ勝つだけでなく、世界を驚かせる日本、世界から愛される日本、4年前のなでしこのような日本を期待する人間としては、ここ数カ月での大失速ぶりが本当に残念である。

 だが、わたしがこの日何よりも失望させられたのは、スタジアムの空気である。1―0で終わったハーフタイム、沸き上がったのは罵声(ばせい)ではなく嬌声(きょうせい)だった。

 美しいサッカーは、手厳しいファンからしか生まれない。この試合に満足できるファンからは、絶対に生まれない。それが、涙がにじむほどに口惜しい。(金子達仁氏=スポーツライター)

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