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【コラム】金子達仁

勝利への貪欲な姿勢こそ「マリーシア」

[ 2015年9月3日 05:30 ]

 マリーシア――恥ずかしながら、わたしなんぞは完全にカブれたクチである。

 初めて耳にしたのは、90年代に入った直後だっただろうか。日本にやってきたブラジル人の選手たちが頻繁に口にするようになった。それこそが、日本に足りないものだ、と。

 最初はどうもピンとこない。そこでブラジル人の師匠に聞いてみた。

 「んー、じゃ、今度の試合の時にやってあげるよ」

 かくして迎えた試合の日。わたしはGKで、師匠は対戦相手のFWだった。CKの時、師匠が笑いながら近づいてきた。そして「カーッ、ペッ」。わたしのスパイクめがけてツバを吐きかけた。唖(あ)然、呆(ぼう)然とするGKは、飛び出すことのできたCKにまったく反応することができず、あっさりとヘッドを決められた。

 「これがマリーシア。サッカーのルールに、相手のスパイクにツバ吐いちゃダメとは書いてないからね」

 セルジオのバカ野郎、と憤慨しつつも妙に感心し、以来、徹底したマリーシア野郎になろうと決心したわたしだった。

 だから、初めて中田英寿さんから話を聞いたときには、違和感を覚えた。

 「最近の日本人選手って、ぶつかるとすぐ倒れるじゃないですか。ぼく、あれが嫌いなんですよね」

 おいおい、それはマリーシアと言ってだな…と上から目線で説教をしかけて、気づいた。ベルマーレにもブラジル人選手はいる。わたしが教わったことなど、彼はとうの昔に知っている。知った上でなお、ちょっとした接触で大仰に倒れる日本人の先輩たちに、10代の中田英寿は失望していた。

 びっくりしたのは、柔道の山下泰裕さんにお話をうかがったときである。

 「わたしは外国人と戦う方が楽でしたね。日本人に比べると、狡(ずる)さのようなものがありませんでしたから」

 わたしは、マリーシアという発想はラテンの国の人々にしかないものだと思い込んでいた。だが、柔道で世界の頂点に立った人の言葉によって、それは否定された。そもそも、マリーシアを「狡賢さ」と訳してしまったのが、まちがいだったのかもしれない。勝つためにありとあらゆる手段を模索し、使おうとする――マリーシアとは、そうした精神の表れだと思うのだ。

 先週、ハリルホジッチ監督が日本のFWにもっとPKをもらえるように、と要望したという記事が出た。要は、もっと狡賢くなれ、ということなのだろう。

 いまのわたしは、以前ほどにはマリーシアという言葉にかぶれてはいない。演技でもらったPKで勝っても、素直には喜べなくもなった。従って、ハリル監督の言葉には賛同しがたいのだが、ただ、日本のFWたちが点をとるために、ありとあらゆる手段を講じていない、というのであれば、これもう、全面的に賛成である。

 シュートを打つ選手はいた。けれども、相手を食いちぎってやろうとの気迫を感じさせた選手は、ただの一人もいなかった。それが、最近の日本代表だからである。(金子達仁氏=スポーツライター)

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