【コラム】金子達仁

敗れてなお記録と、記憶に残った大分トリニータ

[ 2021年12月25日 14:00 ]

<天皇杯決勝 浦和・大分>ガックリの片野坂監督(左)ら大分イレブン(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

 ガッツポーズ?セレブレーション?呼び方はなんでもいい。振り返ってみれば、わたしは得点を決めた選手が見せる感情の吐露が大好きだった。ひょっとしたら、美しいサッカー、戦術的に洗練されたサッカーを見るよりも好きだった。

 だから、お前の人生における忘れられないシーンは何よ、と問われたらすぐに答えが出てくる。

 最初は、78年W杯決勝。マリオ・ケンペス。紙吹雪の舞うモヌメンタルを駆け抜けた長髪の闘牛士。茶色くはげた芝、ガラガラのスタンドしか知らない中学生には、この世のもの、同じ世界のものとは思えなかった。

 次もやはりW杯決勝で、82年大会、西ドイツに引導を渡したマルコ・タルデリの疾走。喜びというよりは怒りのマグマをぶちまけているようだった。

 3番目はちょっと新しい。02年W杯の南米・オセアニア・プレーオフ。第1戦を0―1で落とし、背水の陣でオーストラリアをセンテナリオに迎えたウルグアイは、ダリオ・シルバの同点弾に続き、“チェンゲ”モラーレスが逆転のヘッドを決めた。

 すぐさまユニホームを脱いだチェンゲは、それを左手でブンブン振り回しながらコーナーフラッグに向かい、そこを通りすぎるとバックスタンドに沿って反対側のゴールを目指した。わたしが見た限り、史上最も長いゴール後の疾走。抜けるようなモンテビデオの空、爆発する超満員のスタンド。忘れられない光景だ。

 振り返ってみれば、わたしを魅了した彼らは、すべて、我を忘れていた。観客を意識したパフォーマンスではなく、自制心が吹っ飛んだことで出た感情の爆発だった。滅多(めった)に見られるものではないし、まして、同じ試合の中で2度も起こることではない。

 だから、先週末の天皇杯決勝は、日本ではもちろん、世界的に見ても希有(けう)な一戦だった。

 0―1のまま残り時間がわずかになっても、大分は諦めていなかった。彼らを支えたのは、おそらく、川崎Fを倒した自信だった。延長戦で先制点を許しながら追いつくことのできた自信が、土壇場になっても彼らを支え続けていた。

 そして、その自信をペレイラが渾身(こんしん)のヘッドで形にした。涙を流しながらゴール裏に向かった彼の姿を、大分のサポーターは永遠に忘れないだろう。

 ところが、試合はこれで終わらなかった。ご存じの通り、この試合でチームを去る槙野が、決勝の、そして惜別の一撃をたたき込む。もう鳥肌なんてものではなかった。

 ペレイラも槙野も、自分たちのサポーターの目前で決めたというのも大きかった。試合前のコイントスの段階から、いや、試合が元日ではなく、年末開催に決まった時点からお膳立てはできていたのかもしれない。果たして、お正月ののんびりとした空気の中で、あれほどのヒリつく試合が見られたかどうか。

 敗れた大分の選手は、「負けたら記憶にも歴史にも残らない」と言っていたと聞く。気持ちはわかるし、概(おおむ)ね真実なのだが、物事には例外がある。82年のブラジル代表同様、21年の大分は、敗れてもなお、記録と記憶に残るチームになった。そういえば、イタリア戦で同点ゴールを決めたファルカンの狂喜は、わたしが生まれて初めて、サッカーを見て号泣した場面だった。(金子達仁氏=スポーツライター)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る