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【コラム】金子達仁

敗因分析こそが日本サッカーの未来への種

[ 2021年12月3日 15:00 ]

<日本・オマーン>後半、(右から)中山、古橋をピッチに送り出す森保監督(左)=撮影・小海途 良幹
Photo By スポニチ

 プロ野球の世界で「ご意見番」と言えば、パッと名前と顔の思い浮かぶ方が何人かいる。そして、そのほとんどは自らもプロ野球の世界で活躍した方たちである。

 翻って日本のサッカーはというと、長い間、自分の名前と責任において「喝」と断じるOBは不思議なぐらい見当たらなかった。セルジオ越後さんが「辛口」と言われ続けているのは、評論に携わるOBの多くが本音を封印することが多かったから、でもある。

 だが、ここにきて様相が変わりつつある。

 W杯最終予選でのさえない戦いぶりに怒りを募らせるファンは多いが、今回は、元日本代表選手たちも声を上げつつある。試合内容の乏しさや森保監督の采配を真正面から批判する彼らのYouTubeは、かなりの視聴者数を稼いでもいるようだ。

 ただ、監督経験者による監督評がほとんどないのは、ちょっと残念なところ。選手には選手にしかわからないところがあるように、監督にも経験者にしかわからないことがきっとある。名将として知られたクライフは、現場を離れてからは極めつきの辛口評論をするようになった。時に、それは激烈な論争をも引き起こしたが、近い将来、日本でも同じようなことが起きることを期待したい。

 目利きと言えば――。

 JFL時代のFC琉球に携わっていた10年ほど前、それまでプロサッカーとは無縁だった県にも足を運んだ。その際、必ず地元紙を読むようにしていたのだが、正直、見るべきものがあまりなかったという印象がある。「結果がわかる」「選手や監督が何を言ったかがわかる」ものの、それ以上でもそれ以下でもない記事が多かった。

 それには致し方ない部分もある。JFLの試合を取材に来る記者の多くは、サッカーだけを書いているわけではない。そもそも、人生においてサッカーに興味を持ったことも、書いたこともなかった、という方も珍しくなかった。予算も厳しいため、アウェーに同行することもまずない。大都市圏でサッカーだけを担当している記者とは、取材に注げる時間と熱量が違いすぎるのだ。

 おそらく、地方でサッカーの記事を書いている記者の多くは、あの頃と変わらない環境下で働いているはず。むしろ、紙媒体が置かれている状況を考えれば、経費の面などではより苦しくなっていてもおかしくない。

 ただ、いささか上から目線になってしまうが、記事の質は、以前に比べて格段に上がっているように思う。

 ネット環境が充実したことで、いまや東京にいても全国の地方紙に目を通せるようになった。ここ数週間で目についたのは、J1からJ2へ、J2からJ3へ降格したクラブの地元紙による敗因分析である。

 読者の多くが読みたいのは、贔屓(ひいき)のチームが勝った記事であって、負けた記事ではない。五輪を報道する全国紙でも、負けてしまえば極端に扱いが小さくなるのは普通のことだ。

 敗因ときちんと向き合い、かつ長期間にわたって連載するには、書き手の愛情と根気、そしてそれを受け入れる土壌が必要になってくる。

 それが、日本各地で確実に広がっている。

 当事者にとって、降格は悪夢でしかない。だが、それぞれの悪夢の中には、日本サッカーの未来への種も隠れている。(金子達仁氏=スポーツライター)

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