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【コラム】金子達仁

求められる「パワハラ」と「指導」の線引き

[ 2021年9月16日 11:00 ]

 知り合ったばかりの時期に、何げなく「W杯って戦争みたいなものでしょ」と口を滑らせたら、ストイコビッチに激怒された。

 「お前は戦争の何を知っているんだ!?」

 その後、彼の生まれ育った街や首都の惨状を目の当たりにして、初めてピクシーが激怒した理由が腑(ふ)に落ちた。サッカーは、戦った選手たちが命を奪われることはない。戦争は、戦っていない者の命までをも奪っていく。

 ただ、矛盾するようではあるのだが、ではサッカーに軍隊的な要素が皆無かと言うと、そうとも言い切れない気がする。

 平時の常識は、軍隊では通用しないことがある。なぜ?一人のミスが、全体を壊滅させてしまうこともあるから。ゆえに、軍隊の訓練は厳しい。

 映画やテレビの中でしか見たことはないが、米軍海兵隊や自衛隊レンジャー部隊に課せられる訓練は、一般社会の常識からすると確実に虐待のレベルにある。上官の命令は絶対で、一兵卒に反論の機会すら与えられない。

 だが、それらはすべて軍隊には必要なことでもある。

 サッカーの試合で選手が命を落とすことはない。ただ、一つの敗戦が、チームに破滅をもたらすことはある。一人の大きなミスが、他の選手のキャリアや収入に直接的かつ致命的な打撃を与えることがある。

 そうなることを未然に防ぐべく、トレーニングの段階で選手やスタッフに厳しく接するのは、許されないことなのだろうか。

 「パワハラ」という言葉を作り出した岡田康子さんが書かれた「パワーハラスメント」(日経文庫)によると、セクハラには当てはまる「受けた者が不快だから」という判断基準が、パワハラには必ずしも当てはまらないという。部下のミスを叱るのは、上司の重要な仕事だから、である。

 ならばなおのこと、一般企業よりは少し平時の常識から離れたところにあるプロスポーツにおいて、監督が選手を叱責(しっせき)するのは「パワハラ」なのだろうか。

 暴力は論外。差別的な物言いも論外。ただ、ハラスメント=嫌がらせだとするならば、嫌がらせのために選手を叱責する監督がいるものだろうか。

 日本の場合、怒りをぶつけられた選手の側に反論できる空気がない、という問題はある。軍隊的な要素はあれど、しかし軍隊ではない集団なのだから、選手にはやり返す権利がある。 

 「軍事的でいい気分ではない。人間性が疑わしい」

 長谷部誠がウォルフスブルクでプレーしていた頃、ペルー代表のファルファンがマガト監督を激しく非難したことがある。ちなみに、厳しい練習と鉄の規律を求めることで有名だったマガト監督のあだ名は「軍曹」または「苦しめる人」だった。

 個人的にはマガトのやり方は好きではないし、ファルファンの気持ちもわかる。ただ、マガトがやっていたのはパワハラだったかと問われれば、それは違うとわたしは思う。彼が、嫌がらせではなく勝つために苦しみを強いていたのは明らかだからだ。

 数年前のチョウ貴裁(チョウキジェ)のケースに続き、今年も監督のパワハラ問題が起きた。そろそろプロチーム、いや、先生と生徒という図式を前提とした学校スポーツも含めて、パワハラと指導の線引きをきちんとしておかないと、この種の問題、今後も続出しそうな気がする。(金子達仁氏=スポーツライター)

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