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【コラム】金子達仁

新競技ゆえに見られたスケートボーダーの“ボーダーレス”

[ 2021年8月9日 22:00 ]

 宴(うたげ)が、終わった。

 何年か、何十年か後、年老いたわたしは、東京五輪と聞いて何を思い出すだろう。

 コロナ。無観客。IOCや組織委員会の度重なる失態と失言。忘れられるはずがない。日本からは五輪に対する熱を、世界からは日本を訪れる機会を奪い取った。大会がひとまずの盛り上がりを見せたのは、ひとえに選手たちのおかげである。

 SNSの闇も記憶に残る。勝った選手は相手国のファンから罵倒され、負けた選手は自国のファンから袋叩きにされた。期待を裏切ったメダル候補が「恥」という言葉をぶつけられたのは、日本だけの話ではない。

 もちろん、感情を揺さぶられる場面も多々あった。最終日、米国に挑んだ日本女子バスケの奮闘と試合後の笑顔。久保建英が流した涙。大橋悠依の弾(はじ)けるような笑顔。畳の上では感情を露(あら)わにしなかった大野将平の武道家精神。女子サッカー決勝で「これを決めれば金メダル」というPKを外してしまったスウェーデン主将セーゲルの呆(ぼう)然――。

 ただ、そうした名場面の多くは、過去、あるいは未来の大会でも起こり得るものだった。21年の東京だから見られたもの、今後は見られなくなるかもしれないもの――わたしにとっては、それがスケートボード女子パークの決勝だった。

 最終走者となった岡本碧優は、攻めた。メダル確保のための安全ではなく、頂点に立つためのリスクを選び、そして、散った。

 思いがけないことが起きたのは、その直後だった。すでに試技を終えていた他国の選手が岡本のもとに駆け寄り、抱きしめたのだ。

 今回、日本は史上最高数のメダルを獲得できた要因の一つに、07年に完成したナショナル・トレーニング・センター(NTC)の存在がある。世界最先端の施設が誕生したことで、日本人アスリートの国際競争力は飛躍的に向上した。

 ただ、見方を変えれば、NTCとは国が関与した強化施設である。そこを利用することで、選手たちには義務が生じる。無邪気に勝ちたいと願っているだけでは許されない。勝たなければならなくなる。これは日本だけではなく、米国や豪州など、いくつかの国がやっているやり方でもある。

 つまり、自国以外は敵になる。

 だが、新競技であるがゆえに、スケートボーダーたちはNTC的な発想とは無縁だった。彼女たちは国を背負ってというより、あくまでも個人として滑っていた。岡本に駆け寄った少女たちは、日本人を慰めにいったのではなく、挑戦して夢破れた大好きな仲間の元に駆け寄ったのだ。

 五輪競技になった以上、これからは勝つために国の関与も強まる。違う国旗をつけた選手は、仲間ではなく敵になる。国籍を超えて無邪気に抱き合う選手たちの姿は、今大会が最後になるかもしれない。楽しい、だからやる、というスポーツの原点のような光景は、失われてしまうかもしれない。

 そうならないことを、競技の本質がこれからも守られていくことを、切に祈る。

 悪くない、というか、素敵なことの多い17日間だった。「車坂」の山廃純米でも呑(の)みながら、余韻を楽しむことにする。スケートボードで金メダルを獲得した四十住さくらは、この和歌山の酒蔵が提供した倉庫で技を磨いたという。東京五輪を締めくくるにあたり、これ以上素敵な酒を、わたしは思いつけなかった。(金子達仁氏=スポーツライター)

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