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【コラム】金子達仁

油断を捨て 一度死んだ身として次戦へ

[ 2021年8月1日 12:00 ]

東京五輪第9日 サッカー男子準々決勝   日本0―0(PK4―2)ニュージーランド ( 2021年7月31日    カシマ )

 まずは、生き延びたことを感謝しよう。神と、谷に感謝しよう。

 PK戦に突入することが決まった時点で、最悪の結果をわたしは覚悟した。持ち込まれてしまった日本の表情は硬く、してやったりのニュージーランドには笑顔が見えたからである。

 しかも、コイントスで先攻を取ったのはニュージーランドだった。先制点、リードが重い意味を持つサッカーという競技において、先攻の利点は大きい。その流れを食い止めた谷のセーブは、絶体絶命の場面で伝説的なPKストップを重ねた川口能活GKコーチの姿を彷彿(ほうふつ)させるものだった。とてつもなく大きなものを失いかけていた日本は、本当に彼のセーブに救われた。

 それにしても、なんと危ない試合だったことか!

 攻守の切り替えの早さ、特に攻から守への切り替えの早さは世界のどこに出しても恥ずかしくないレベルにあった日本だが、この日は、「切り替えって何?」と聞きたくなるほど動きが遅かった。

 ただ、やらなかったにせよ、できなかったにせよ、やむを得ない面はある。

 少なくともW杯では、こんなにも酷暑の中で、こんなにも過密な日程で試合をすることはない。まして、相手は自陣からキチンとつないでくるというタイプではない。行けば、蹴られる。献身が徒労に終わるケースも増える。試合がハイテンポなものにならなかったのは、仕方のない面もあった。

 それでも、前半10分の決定機を遠藤がモノにしていれば、試合の展開はまったく違ったものになっていた。今大会の日本は、最初の決定機を確実にものにした試合では自分たちの展開に持ち込み、モノにできなかった南アフリカ戦はてこずった。

 つまり、今大会における日本の強さの源泉は、先制点だった。

 それゆえ、ほとんどミスといってもいい形で決定機を逃したことで、その後の展開は非常に重くなってしまった。

 さらに、決定機を逃したことに責任を感じたのか、遠藤からいつものダイナミズムが消えたのも痛かった。吉田、冨安にも「あわや」のミスがあった。終始リズムをつかんでいたのも、より多くの決定機をつかんだのも日本だったが、それでも、ニュージーランドの選手たちは最後まで「行ける」という手応えとともに戦っていたことだろう。

 ただ、いずれにせよ、日本は死線をくぐり抜けた。足をすくわれかけたが、すくわれはしなかった。

 準々決勝の相手がニュージーランドと決まった時点で、正直、わたしは安堵(あんど)したし、それは、少なからず選手にもあったように思う。それがどれほど危険で、どれほどやってはいけないこととは知りつつも。

 だが、次は違う。絶対に誰も、油断はしない。それどころか、一度死にかけた立場として全力で挑むことができる。

 問題は、コートジボワールと戦ったスペインも、アディショナルタイムに勝ち越しを許し、日本よりさらに崖っぷちに追い込まれたということ。つまり、日本が一度死んだ身であるなら、スペインにも同じことは当てはまる。

 それでも、これほど嫌な流れにのみ込まれなかった日本の負けを、もうわたしはイメージできない。この日の日本が乗り越えたのは、この大会における最大の危機、になるかもしれない。(金子達仁氏=スポーツライター)

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