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【コラム】金子達仁

IOCの「特権」意識に高まった日本人の反応

[ 2021年7月15日 08:00 ]

 超満員の観衆。湧き上がる大歓声。マスクをしている人はほとんど見当たらない。それが、大谷翔平が出場したMLBオールスターゲームだった。

 だが、コロラドの興奮は、熱狂は、東京五輪では見られない。改めて、失ってしまったものの大きさを思い知らされた気分になった。

 日本にはほとんど伝わってこないが、おそらくは米国にも、この時期のオールスターゲーム開催に反対する声は、確実に存在していたはず。それでもMLBが開催に踏み切れたのは、開催を望む声、日本からやってきた前代未聞のスーパースターの活躍を見たいとの声が、反対する声を圧倒したからに違いない。

 ではなぜ東京では、日本では、開催を望む声、満員のスタジアムを望む声が高まらなかったのか。多くのファンが開催を熱望し、押された国側がやむなく承認、という図式ではなく、国が開催や有観客を推し、呆(あき)れた国民がそれにストップをかけるという逆転の構図が出来上がってしまったのか。

 誤解のなきよう。欧米に憧れ、日本を嘆きたいわけではない。数カ月後、宴(うたげ)に酔い痴(し)れた代償としてコロナ禍が深刻化する可能性もある。また、幸いにしてそうならなかったとしても、「だから日本も」とは言わないつもりである。

 ただ、プロ野球や大相撲、さらには高校野球の地方大会などが有観客で行われ、それに対する大きな反発は見られないにも関わらず、こと五輪に関する限り、激烈といってもいい反応が生じているのは興味深い。

 どうやらIOCの方々は、チャイニ……もとい、ジャパニーズ・ピープルはコロナ禍に脅(おび)えすぎだ、と捉えているフシがある。彼らからすれば、欧米に比べて圧倒的に感染者や死者が少ない状況であるにも関わらず、一向に盛り上がらない開催地の空気が不思議で仕方がないのだろう。無理もない。だが、日本人が脅えすぎでもスポーツに対する愛情が低いわけでもないことは、五輪以外のスポーツの現状によって証明されている。

 原因の一端がIOCの態度、発言にあるのは間違いない。自分たちの開催するイベントが特別だと自負するのはかまわないが、「だから言うことをきけ」と言わんばかりの高圧的な物言いは、「特別」ではなく「特権」意識でしかなかった。

 五輪が特別だというならば、音楽のイベントに特別な意味を感じる人もいる。酒や食事、あるいは日常の生活に「特別」を見いだす人もいるだろう。だが、そうした多くの「特別」がコロナを理由に中止へと追い込まれている中、特権を振りかざしたとしか思えないIOCの態度は、スポーツに熱狂的ではない中間層の反発を掘り起こすに十分だった。

 ただ、以前の日本であれば、反発はもう少し穏やかだったかもしれない。外圧に弱く、日本人のおかしなところを外国人に指摘させる番組に人気があったかつての日本であれば。

 外国にどう見られているかを非常に気にする日本人の気質に変化はない。だが、日本を称賛する外国人の言葉ばかりを欲する傾向のある最近の日本では、いい悪いは別にして、外国の高圧的な物言いに対する反発が、かつてないほど高くなっている気がする。

 こんな東京五輪になってしまったのは、なかば必然だったのか。コロラドの熱狂を思い出し、ため息をつく。(金子達仁氏=スポーツライター)

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