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【コラム】金子達仁

私が監督だったら、うれしい悲鳴しか出てこない

[ 2021年3月31日 08:30 ]

カタールW杯アジア2次予選F組   日本 14-0 モンゴル ( 2021年3月30日    フクアリ )

<モンゴル・日本>前半、ボールを追う南野(撮影・篠原岳夫)
Photo By スポニチ

 まずは、モンゴル代表選手たちに拍手を贈りたい。厭(いや)味(み)でも皮肉でもなく、本心から贈りたい。

 どんなレベルのチームにとっても、5点差以上での負けは悪夢である。母国で衛星中継にかじりついているであろう国民の前で、14回もゴールを割られるというのは、簡単に受け入れられることではない。

 だが、自暴自棄になり、危険なプレーに走る選手が出てきてもおかしくない状況になっても、モンゴルの選手たちは自制心と闘志を失わなかった。監督の力なのか、国民性なのかはわからない。どちらにせよ、小野伸二の膝にライダーキックを見舞ったようなクソッたれは、モンゴルにはいなかった。現れそうな気配すらなかった。これはもう、掛け値なしで称賛に値する。

 さて、これほどの大勝、圧勝となると、どこかで緩みというか、雑な部分が出てくるものだが、今回に関してそれは皆無だった。国内でプレーしている選手はもちろん、海外から呼び戻された選手の多くも、チームだけでなく、自分も結果を出さなければ生き残れないと強烈に自覚していた。これほどまでに良い意味での飢餓感が蔓延(まんえん)している日本代表は、ちょっと記憶にない。

 中でも驚かされるのは、キャプテン吉田の変貌ぶりである。もうそろそろベテランの域に足を踏み入れつつあるが、2年ほど前の彼と比べれば別人といいたくなるほどの進化を遂げている。この日も、守備面での安定はもとより、ラストパサーとしての一面を見せていた。先週末の韓国戦と合わせても、パス成功率はほぼ100%に近いはずで、正直、以前の姿からは想像もつかない。

 チームのリーダーがいまだ挑戦意欲を漲(みなぎ)らせているとなれば、他の選手もあぐらをかいているわけにもいかない。競争原理も働き始め、いま、日本代表は近年でもっともいい流れに乗っている気がする。

 ただ、森保監督は頭が痛いだろうな、と思う――物凄く、いい意味で。

 A代表が韓国に完勝し、五輪代表がアルゼンチンに惜敗した先週末の時点では、話はずっと簡単だった。五輪代表にはまだまだ足りない点がある。そこをオーバーエージという形でA代表から移植する。たとえば、吉田を選んでA代表と同じ冨安とコンビを組ませる。守備の安定はもちろん、ビルドアップも計算が立つ。

 ところが、北九州での第2戦で、若い日本代表選手たちは見事なまでの修正能力と環境適応性を見せた。3―0というスコア以上にわたしが嬉(うれ)しかったのは、第1戦以上に主導権を握り、第1戦以上にチャンスを与えなかった内容だった。彼らが目標とする金メダルは決して簡単な目標ではないが、とはいえ、五輪に臨む日本代表としては史上初めて、金メダルを狙える、狙ってもいい領域に足を踏み入れつつあるのは間違いない。

 オーバーエージの必要性、必然性が、一気に薄くなってしまった。

 1年前であれば“確定”とみられていた大迫や南野らの見え方が、わたしの中で変わってきている。素晴らしい選手であることに異論はないが、若い選手に大舞台の経験をさせるべきでは、との思いが頭をもたげてきている。

 わたしが森保監督だったとしたら、もう悲鳴しか出てこない。もちろん、うれしい悲鳴である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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