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【コラム】金子達仁

深刻さ認識甘く…森氏が泥かぶって辞めれば好転可能性もあったが

[ 2021年2月13日 10:00 ]

東京五輪・パラリンピック組織委員会 森氏辞任、川淵氏会長就任辞退で一転白紙

 組織委会長の辞任と後任人事の白紙化という前代未聞の事態は、夏季五輪開催国である日本の混乱ぶりを世界に知らしめることとなった。東京大会は一体、どうなってしまうのか。12日付のスポニチ紙面でも鋭い視点で現状を分析したスポーツライターの金子達仁氏(55)が、再び迷走を始めた祭典を語った。

 なぜ川淵さんなのか――そう書いた2月11日夕刻のわたしが抱いていたのは、人選に対しての強い不満だった。反感ではなく、不満だった。

 数時間後、不満は猛烈な怒りに変わった。なぜ川淵さんなのかという問いに対する答えが、「森会長の意向だから」ということがわかったからだった。川淵さんが「発言は問題だったけれど」と口にしたからだった。

 これでは、何も解決しないではないか!

 日本社会は、女性蔑視ととられる発言をしたボスに名誉ある切腹を迫るのか。それとも無慈悲に断罪するのか。興味津々で見守る世界の人たちに、日本側が出した答えは「院政」だった。

 発言に問題はあったけれど、実績があるので今後も力を貸してもらう。実績さえあれば、日本社会においては女性蔑視ととられる発言が命取りにならない。意地の悪い海外メディアにそう受け止められても仕方のない道を、あろうことか当事者の森会長が提案し、後任者もそれを受け入れた。

 思わぬ世論の反発で状況が急変し、「院政」や「禅譲」といった道が断たれた懇談会でも、発言と功績を切り離すべきだとの声があったと聞く。

 この期に及んでもまだ切り離しが可能だと信じている無邪気さとノーカンぶりには、呆然(ぼうぜん)とするしかない。

 どれほど優秀であっても、人種差別ととられかねない発言をしたらその人の社会的立場が失われるように、ナチズムを称賛することが絶対的なタブーであるように、たとえ本人にそのつもりがなくとも、そう受け取られてしまったらアウトなのが今回の問題だった。

 ところが、森会長をかばう声は最後まで消えなかった。大事なのは東京五輪ではなく会長の立場ですか?真顔で聞きたくなるほどにしぶとくかばい続けた。

 いまさらながらの繰り言ながら、森発言の深刻さをしっかりと認識していれば、危機を転機に変えることも可能だった。すべての責任を背負わせる形で森会長を更迭し、急速に薄れつつある五輪開催に対する日本国民の熱意を、反転させるきっかけとする。森さんが泥をかぶって舞台を追われる形をとれば、後任は川淵さんであっても、はたまた橋本聖子大臣であっても、今回ほどの反発を招くことはなかっただろう。

 だが、こうなってしまえば、打てる手は限られてくる。女性蔑視だと非難されて退場した会長の後釜が酔った上でのセクハラ(と受け取られかねない騒動)を起こした女性というのはジョークがすぎる。

 そもそも、いったいいつから五輪の組織委員会は、政治の力を借りなければやっていけない組織になってしまったのか。選挙のたびに己の功績を声高に訴える政治家は珍しくないが、森会長の功績とやらは、誰もが認めるものだったのか、はたまた自称だったのか。

 バッハ会長は元政治家ではないし、それは多くのIOC委員についても当てはまる。なぜ彼らと丁々発止でやりあうには政治家でなければ、との発想に日本の組織委員会は囚(とら)われてしまったのだろう。そして「余人をもって代えがたい」はずのポジションを、空席になったまま先送りにしたのはどうしてなのか。

 本当に会長職に政治家は必要なのか。必要な理由は?政治家ではない関係者の声を、わたしは聞きたい。

 ▽キス騒動 橋本氏は14年ソチ冬季五輪の閉会式後に選手村で開かれた打ち上げパーティーで酒に酔い、フィギュアスケート代表だった高橋大輔に抱きつき、キスをする写真が週刊誌で報じられた。両者とも謝罪し、不問となったが、「パワハラ」「セクハラ」など批判が殺到した。(金子達仁氏=スポーツライター)

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