【コラム】金子達仁

理不尽な判定に日本人の美徳は必要か

[ 2020年12月17日 07:30 ]

 フォルカー・フィンケがレッズの監督だったころ、憤慨しまくっていたことがあるという。

 「この前の試合でGKがパンチングミスしたんだけど、次の日の新聞の1面、俺だぞ!?俺がパンチングミスをしたとでも!?」

 ドイツ語が堪能だったため不満の捌(は)け口を務めることになってしまった知人によると、フィンケの怒りは「だから日本の選手は伸びないんだ」というところまで行き着いてしまったという。

 いや、それとこれは別の話でしょ…と個人的には思うのだが、わたしも含め、日本のメディア、ファンが欧米に比べると、より強く責任の所在を監督に求めがちなのは事実。敗戦の折、非難の矛先が向けられることは、選手に比べても圧倒的に多い。いいか悪いかは別にして、日本の特徴ではある。

 なので、最近ではできるだけ監督、リーダー、責任者にすべてを負わせるような発想には陥るまい、と言い聞かせてきた。コロナとの闘いが戦争だというのであれば、犠牲者が出たからといってリーダーを無能呼ばわりするのはいかがなものか、とも思っていた。戦争で兵士が死んだらリーダーは無能だというのであれば、歴史上に有能な戦争指揮官など存在しないことになってしまう。

 ただ、前線が死に物狂いで戦っている最中、リーダーたちが会食を楽しんでいたと聞けば、やっぱり心はざわめく。インパール作戦を強行中、連日料亭で酒を飲んでいたという牟田口中将の名前が浮かぶ。印象はすこぶる悪い。

 悪い、と言えば、ACLの準決勝、ヴィッセル対蔚山の後味も悪かった。というか、めちゃくちゃに、べらぼうに悪かった。

 重要な試合の判定にVARが使われるようになって久しいが、なぜか取り消された神戸の2点目は、ハナからゴールを取り消すことを目的に、“不可逆的な”事実を無理やり覆したとしか思えない。

 さらに言うなら、一度はオフサイドの判定を下しておきながら、これまたなぜか覆り、蔚山の同点ゴールが認められた場面も、正直、絶句するしかなかった。18年前のW杯でイタリア人やスペイン人がどんな気持ちだったか、初めてわかった。

 やりきれなかったのは、試合終了直後の光景だった。決勝点につながるミスを犯したGK前川を何人かの選手が慰めに行っていたのだが、これが日本以外のチームであれば、ほぼすべての選手が審判団を取り囲んでいただろう。

 たとえどれほど理不尽な判定であっても、ひとたび下されたものには黙って従う。これ、間違いなく日本人の美徳。世紀の大誤審で金メダルを強奪された柔道の篠原だって、歯を食いしばって銀メダルを受け取った。

 けれど、ことサッカーに関して言うと、沈黙は悪、もしくは損だとわたしは思う。黙っていたら、また同じことをやられる可能性がある。日本だったら大丈夫、とナメられる可能性がある。
 不満をグッとのみ込んだ記者会見での三浦監督の様子も、素晴らしく日本的だった。そのことを責めはしない。ただ、ツイッターで怒りを爆発させた川淵さんの方が、世界で戦うことを考えると、わたしには頼もしく見えてしまうのだ。(金子達仁氏=スポーツライター)

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