【コラム】金子達仁

「伝統の一戦」滅びるぞ…ドイツのように

[ 2020年11月12日 10:00 ]

 勝った方が優勝、という状況で迎えた8日の早慶戦は、これぞ伝統の一戦!というべき凄い試合だった。

 4回に逆転した慶応は、1点のリードを守ったまま、9回表を迎えた。イニングまたぎのエース木沢は、この回も順調に2人を抑える。優勝まで、あと1人。

 だが、早稲田も土壇場で意地を見せ、7番・熊田がレフト前へ。続く8番・蛭間が左バッターだったこともあり、慶応ベンチは左腕の生井を送り込む。そして――。

 一方は走りながら号泣し、一方はマウンドとホームの間でへたり込んだ。

 放たれた打球は、バックスクリーンを直撃していた。

 まさに起死回生。あるいは悪夢。試合後、早稲田の小宮山監督は「人生で一番感動した」と男泣きしたが、早慶どちらにも関係がない人間が見ても胸を打たれる、壮絶な名勝負だった。

 その2日後に見せられたのは、これが伝統の一戦?と唖然(あぜん)としてしまう寒い試合だった。

 甲子園での巨人戦最終戦。藤川球児の引退試合。いつにもまして奮い立ってほしい状況で、いつにもまして阪神は情けなかった。たった1安打での零敗。

 打てないのは仕方がない。負けるのも仕方がない。ただ、早慶戦に満ち満ちていた、「何が何でもコイツには負けない」といった空気が、甲子園にはまるでなかった。

 いや、巨人に対して闘志を燃やさない阪神の選手なんていまい。藤川なんてどうでもいいって思っている阪神の選手なんて絶対にいまい。なのに、9回マウンドに立つ藤川のために最高のバッター(坂本)とWBCの盟友(中島)を温存し、宿敵を最高の形で送り出そうとした原監督よりも、この試合を大切にしようとの思いが伝わってこなかったのは、悔しすぎて涙も出なかった。

 同情すべき点はある。早慶戦は、いまでは神宮が満員になる唯一の六大学野球のカードである。選手にとってはわかりやすく特別な環境だ。

 一方、巨人戦しか甲子園が満員にならなかった昔と違い、いまはどのカードでもチケットは完売する。阪神に憧れて阪神に入った選手でない限り、巨人戦の特別さはどうしたって薄れていく。仕方はない。でも……。

 思うに、伝統の一戦を伝統の一戦たらしめていく責任の多くは、弱い側にある。

 推薦制度等の問題で、慶応のスポーツが早稲田に大きく後れをとっていた時代、それでも慶応は早稲田を倒すことを諦めなかった。その熱量の凄(すさ)まじさが、早稲田の中に生まれかねなかった侮蔑の芽を摘んだ。優勝回数で圧倒的に引き離されても、レアル相手には常に牙を剥(む)いたかつてのバルサの姿が、わたしには重なる。

 伝統の一戦には、当事者以外の人間の胸をも打つ力がある。サッカーファンとしては、Jリーグにそうした存在のない現実が寂しいし、阪神ファンとしては、関心のある人間の胸にすら響かない試合をしてしまった阪神が哀(かな)しい。

 たとえ順位でかなわなくとも、巨人の選手の闘志をかきたてる存在が、藤川の去った阪神にいるだろうか。育てようとしているだろうか。このままでは……もう滅びるぞ、伝統の一戦。滅びたら、もう元には戻らんのだぞ。かつてナショナル・ダービーと呼ばれた、ボルシアMGとバイエルンのように。(金子達仁氏=スポーツライター)

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