【コラム】金子達仁

「少年よ、大志を抱け」後押しするスポーツ界であれ

[ 2020年8月11日 09:00 ]

 経済協力開発機構(OECD)東京センター所長の村上由美子さんによると、世界の15歳を対象として行われる国際学習到達度調査(PISA)において、日本の子供たちは科学的リテラシー、読解力、数学的リテラシーでおしなべて高い数字を残しているという。少なくとも、G7に属する国の中に日本を圧倒するような存在は見当たらない。

 ところが、村上さんによれば、これほどまでに優秀な日本の子供たちには、非常に残念な特徴も見られるという。調査の成績では日本よりも下だった国よりも、自己肯定力と大志のポイントが低いというのである。

 ちょっと乱暴に言ってしまえば、他の先進国に比べて優秀であるはずの日本の子供たちは、他国の子供ほどには自分の能力や可能性に信をおいておらず、高みを目指そうともしていない、ということになる。

 耳が痛すぎる。

 サッカーにしても野球にしても、日本人選手が最初に海を渡ろうとする場合、「成功するわけがない」と頭ごなしに否定するのは大抵が日本人だった。日本のファンは、わたしを含めたメディアは、たとえば米国のファンやメディアに比べると、自国選手の可能性や未来をてんで信じていなかった。日本人であることを、勝てないこと、成功しないことの理由にしてしまっていた。

 そんな国で、環境で育った選手たちに、大きな志を抱けといっても酷な話である。

 25年前、まだ10代だったラウル・ゴンサレスにインタビューをした際、彼は「いつかはマラドーナのようになりたい」と言った。スペインのサッカーが世界的な尊敬を勝ち得るはるか前の時代だったが、彼の志は確実に頂点を目指していた。

 ラウルは結局、マラドーナにはなれなかった、とわたしは思う。失礼ながら、マラドーナを目指すなんておこがましいのでは、というのが当時のわたしの率直な感想だったから、そのこと自体に驚きはない。ただ、大きな志を持った少年は、スペインの伝説となり、永遠に届かないのではと思われた世界一への礎を築いた。スペイン人が他国に対して抱いていたコンプレックスは、彼によって大きく取り払われた。

 さて、彼と世界ユース選手権で戦った日本選手の中に、同じレベルの志を持った者はいただろうか。俺はマラドーナになる、と無邪気に夢みていた選手はいただろうか。

 残念ながら、あのころの日本に、自分が、日本が、世界一になれる、なりたいと思っている人間は皆無だった。せいぜい、海外のクラブでプレーするというのが、選手たちが持ち得た最大の夢だった。

 時代は、変わっただろうか。

 公園でボールを蹴る子供たちが、自分ならばメッシになれる、超えられると信じてもいい社会、空気になっただろうか。夢を聞かれて世界一とてらいもなく答えられる少年の割合は、以前よりも増えただろうか。

 そうであることを祈る。いずれにせよ、自己肯定と大きな志を持った選手を育てること――教育の現場が直面する課題は、そのままスポーツ界の課題でもある。(金子達仁氏=スポーツライター)

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