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【コラム】金子達仁

初めて出場権かからない予選…批判するつもりない

[ 2020年1月17日 13:00 ]

 今月のスポニチ「我が道」はジーコ。これがすこぶる面白い。
 興味深かったのはテレ・サンターナ監督に対する思い。明らかな批判はないものの、そこかしこに不信感や不満が滲(にじ)んでいた。

 そういえば、かつてソクラテスは「テレは何もしていない。彼はメンバーを固定しただけだ」と言っていたし、CBだったオスカーも「両サイドバックが同時に攻撃参加をしていた。ありえない」と憤慨していた。

 「黄金のカルテット」を率い、未(いま)だに世界的な評価の高い指揮官も、内部を知る人間からすれば必ずしも名将ではなかったということなのだろう。

 とはいえ、テレに率いられたチームが、素晴らしく魅力的だったのは事実。内情はどうであれ、これからもテレは悲運の名将として記憶されていくことだろう。

 「我が道」ではトヨタカップにまつわるエピソードも紹介されていた。試合前に選手たちがMVPの賞品は個人のものではなく全員で山分けしようと決めていたという。自己顕示欲に駆られて勝手なプレーをする選手を出さないように、とのことだったが、オスカーが82年のブラジル代表に憤慨していた理由がまさにそれだった。欧州でプレーしたい、自分を見てくれ…という選手が多かったことで、チームが攻撃偏重に傾いてしまったというのだ。

 なるほど、エゴを自制しようとしたフラメンゴは世界一になり、自由だったセレソンはなれなかった。ただ、魅力度で行けば圧倒的に後者の方が上だったというところが、サッカーの面白くも難しいところである。

 ちなみに、ジーコが現役だった時代、W杯は欧州と南米が交互に優勝を繰り返していたが、クラブ版W杯ともいうべきトヨタカップでは南米勢の圧倒的な優勢が続いた。理由は単純で、双方のモチベーションに大きな差があったからだった。

 南米の選手には、まず大会の賞品、賞金自体が魅力だった。さらに、ここで活躍することで、欧州のクラブに引き抜かれるかも、という期待もあっただろう。欧州勢がトヨタカップを単なる新興大会と見なす一方、南米代表は国の威信を背負っていた。わざわざ1試合のために、はるばる日本にまで足を運ぶファンも少なくなかった。

 これでは、結果に差が出るのも当然である。

 欧州勢が手を抜いていた、というわけではない。彼らは彼らなりに真剣にやっていたし、負けて落ち込んでもいた。ただ、勝てば人生が変わる者とそうでない者とでは、少しずつ何かが違っていたということだろう。

 五輪代表が1次リーグで敗退した。前代未聞だという。なるほど、残念な結果ではあるし、森保監督の動きの遅さも気になった。試す采配ではなく、勝つための采配が見たかった。

 だが、この結果をもって監督を更迭すべきだとか、選手が情けないなどと批判するつもりはない。確かに1次リーグ敗退は前代未聞かもしれないが、彼らは、史上初めて出場権のかからない予選を戦ったチームなのだ。

 わたしの知る限り、トヨタカップでの敗北を理由に更迭された欧州の監督やクビを切られた選手はいない。(金子達仁氏=スポーツライター)

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