【コラム】金子達仁

欧州王者相手の完勝がU17の世界観変える

[ 2019年11月1日 15:00 ]

 その国のサッカーの未来を占う上において、若年層の育成はもちろん重要である。ここを疎(おろそ)かにしている限り、他にどれほどの大金をつぎ込んだとしても果実が実る可能性は低い。そのことは、中国サッカーの現状を見ればよくわかる。

 ただ、ここで難しいのは、育成は重要であるものの、年代別の大会における結果は必ずしも将来に直結するわけではない、ということである。

 実際、日本にも若い世代が連続して世界大会への出場権を逃したことはあったが、A代表は98年フランス大会から始まったW杯連続出場をいまも続けている。時折聞かれた「このままでは日本の未来が危うい」という声は、幸いにして杞憂(きゆう)に終わった。

 従って、いまブラジルで行われているU―17W杯の結果に、一喜一憂しようとは思わない。この年代の大会では、勝敗以上に大切なものもある。たとえ惨敗に終わろうとも、この先自分が成長していく上で必要なものを見つけてくれるのであれば、それはそれでかまわない。

 とはいえ、欧州王者のオランダを倒した、それも3―0という文句のつけようのないスコアで倒したことは、日本の若い選手たちにとっては大きな財産となるだろう。

 たとえ勝ったとしても、内容で圧倒されていれば、「次にやるときは危ない」というイメージが残る。日本人の場合は、そこに「やっぱり世界はすごい」という余計なコンプレックスも加算される。勝ってもなお、自分たちでガラスの天井を作り上げてしまうのだ。

 欧州王者相手の完勝は、きっと、若い日本選手たちのサッカー観を変える。以前の世代がどこか捨てきれずにいた、「自分たちは世界で通用するのか」という不安を抱いて戦う段階を大きく越え、相手がどこであろうとも勝てる、勝たなければならないと考えるようになる。終盤まで競った展開を続けただけで「善戦した」と満足することがなくなる。

 W杯に出場する以前の日本と、出場してからの日本。選手たちの質に劇的な差があったかといえば、それは違う。70年代にも、80年代にも傑出した選手はいた。だが、W杯フランス大会以降の世代が抱くようになった「W杯に出るのは当たり前」という感覚が、それ以前の世代にはなかった。それが、日本のサッカーをアジアの中に封じ込めていた呪いの源だった。

 W杯出場が悲願だった日本は、やがて決勝トーナメント進出を悲願とする国に成長し、いまや、それ以上の結果でなければ選手も国民も納得できないところまで来ている。次の段階に進むために必要なのは、世界一を本気で狙う世代の出現であり、だとすると、今回のU―17W杯は一つのきっかけとなる可能性がある。

 日本にとってW杯における最初の試合が終わったあと、1―0で勝利したアルゼンチンのパサレラ監督はいっていた。

 「日本は我々を尊敬しすぎているようだった」

 U―17W杯の結果は、必ずしも選手たちの将来を約束するものではない。それでも、彼らがW杯の舞台に立ったとき、相手監督がパサレラと同じ印象を抱くことは、もうないはずだ。(金子達仁氏=スポーツライター)

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