【コラム】金子達仁

3年後のW杯優勝 可能性感じた前半45分

[ 2019年9月7日 07:00 ]

<日本・パラグアイ>前半23分、先制ゴールを決めイレブンに祝福されるFW大迫勇也(中)
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 思えば、南米のチームと戦う際の日本には、選手だけでなくメディア、ファンの側にもある種の思い込みがあった。

 技術では相手の方が上。

 南米といえばテクニック。南米といえば魔術師。アジアというサッカー後進圏の、その中でも強豪とは言い難い時代を長く過ごした我々は、サッカー大陸とも言われる地域に強い憧れと劣等感を抱き続けてきた。南米のチームを倒すには、見劣りする個人の力を組織力で補うしかないと思い込んでいた。

 そんな常識が、いま、過去のものになろうとしている。

 仮に大迫のシュートがポストに阻まれ、南野がボールを抑えきれずに吹かしてしまっていたとしても、つまり試合が0―0で終わっていたとしても、勝利に値するのはどちらのチームであるかは、誰の目にも明らかだった。魅力的な個人が存在したのはどちらだったか。欧州のビッグクラブが目をつけそうな選手が多いのはどちらだったか。それも、明らかだった。

 9年前に南アフリカで対戦した時に比べ、国としてより進化し、成長していたのはどちらだったか、も。

 パラグアイは、あのときと同じようにパラグアイだった。タフで、献身的で、でも少しばかり退屈で。けれども、9年前はタフさで少し劣り、献身的な部分では少し優(まさ)り、退屈という点では似たりよったりだった日本に、その面影は微塵(みじん)もなかった。

 自国の過去のチームと比較して「史上最強」と謳(うた)うのは、本来、あまり意味のあることではないとわたしは思っている。いくら昔のチームより優れていても、いま戦う相手が強ければ何の意味もないからである。だが、そのことを重々承知しつつ、それでも、前半45分間の日本のサッカーには「史上最高にして最強」との賛辞を贈りたくなってしまった。

 日本の選手たちは、パラグアイに対して何のコンプレックスも抱いていなかった。もちろん、警戒はし、リスペクトもしていただろうが、下から仰ぎ見る感覚ではまったくなかった。彼らはテクニックとパスワークで完全に相手を圧倒したばかりか、パラグアイがもっとも得意とするタフな身体のぶつけあいでもまるでヒケを取らなかった。パラグアイ人には傲慢(ごうまん)と受け止められるかもしれないが、この日に限っていえば、負ける可能性がまったくない試合であり力関係だった。

 日本はいつかW杯で優勝する。かれこれ20年近く前から、わたしはそう信じてきた。とはいえ、その「いつか」は自分の人生が晩年にさしかかったころだろうな、とも思っていた。 

 凄いことが、とんでもないことがおきようとしているのかもしれない。

 昨年、日本に敗れたウルグアイは驚いただろうが、今回のパラグアイは衝撃を受けたはずである。アジアに負けたことはあっても、こんな負け方をしたのは彼らにとって初めての経験だろうからだ。

 もしわたしがたまたまこの試合を観戦した外国人だとしたら、3年後のW杯で日本をダークホースに推す。ついこの間まで、自他ともに認めるアウトサイダーだったことを思えばいささか信じがたいが、それほど凄い試合を、前半の日本はやったのだ。(金子達仁氏=スポーツライター)

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