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【コラム】金子達仁

攻撃の幅広げた最終ラインからのパス

[ 2019年6月10日 19:00 ]

国際親善試合   日本2-0エルサルバドル ( 2019年6月9日    ひとめS )

<日本2-0エルサルバドル>前半、競り合う堂安(撮影・西尾 大助)
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 想像するに、この試合でもっとも手応えをつかんだのは最終ラインの3人ではなかったか。

 トリニダード・トバゴ戦では、破綻はなかったものの、機能したとも言い難かった。だが、より攻撃的な選手が中盤の両サイドに配置されたこの日、冨安や畠中はその利点を極めて効果的に運用した。つまり、スピードのある選手がサイドに張ったことで、エルサルバドルは中央部を固めるわけにはいかなくなった。結果、以前よりは低くなった人口密度を、日本の最終ラインは縦パスという形で利用したのである。

 紆余(うよ)曲折はあったものの、ここのところボールポゼッション重視のスタンスが続いてきた日本サッカーだが、こと日本代表に関する限り、最終ラインからのフィード力が武器になったことはほとんどなかった。森保体制で臨んだアジア杯でさえ、パスではなくキックに逃げてばかりの試合があった。DFは、セットプレー以外は専守防衛。それが日本代表の現実だった。

 だが、この日のように最終ラインからのパスが得点に直結するようになれば、攻撃のバリエーションは飛躍的に広がる。人間の集中力には限界がある。最終ラインからのパスを警戒せざるをえなくなる相手には、いずれ中盤や前線のケアを疎(おろそ)かにする瞬間が生まれるからだ。

 この日の森保監督は試合途中で3バックを4バックに変えた。だが、実際にW杯予選などで運用されるのはこの逆のパターンではないか、という気もする。4バックで臨んで攻めあぐんだ。3バックにして両サイドを張り出させ、この日の前半と似たような状況を作り出す――。

 もちろん、まだまだ粗い面も目立ち、効果的な武器として使えるようになるにはさらなる経験値の上乗せが必要だが、最終ラインだけでなく、森保監督にとっても、次のステップに進めるという手応えの得られた試合ではなかったか。

 収穫の多かった試合の中で、唯一気になったのが堂安。それぞれが新しいやり方の中で自分の立ち位置を見つけつつある中、彼だけが居場所を見つけられずにもがいているような印象を持った。右サイドからカットインしての左インフロント、という“必殺技”も封印されたままだった。同じ左利きの強烈なライバルの出現が、彼にポジティブな化学反応を引き起こしてくれればいいのだが。

 さて、久保建英である。おそらく、スポニチだけでなく、各紙、各メディアも彼のデビューを大きく取り上げるはず。歴代2位の若さでの初キャップとのことだが、おそらく、1位の市川大祐さんは苦笑しているのではないか。注目度も、期待度も、そしてチーム内における立場も、市川さんの時とは比較にもならないぐらい上だからである。

 ただ、いいパスがあった、惜しいシュートがあった、落ち着いてプレーしていた、だから素晴らしかったと言われているうちの久保は、まだ本物ではない。同じことをメッシがやったら、「でも決めなかった」と批判される。久保は、そういう位置を目指せる、いや、目指さなければならない選手である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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