【コラム】金子達仁

大迫×武藤 アジア杯決勝で見えた新たな可能性

[ 2019年2月7日 19:00 ]

アジア杯準決勝・イラン戦に向けて笑顔で練習する(左から)武藤、大迫、室屋(撮影・小海途 良幹)
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 ボルシアMGが大躍進している!42年ぶりのマイスターシャーレに手が届くかも!――というのが最近の個人的なトピックスなのだが、サッカー解説者の鈴木良平さん以外は賛同していただけないのが確実なので、まだ記憶に新しいアジア杯について触れてみる。

 優勝できなかったのだから、足りなかったところ、弱点を指摘する声が上がるのは当然としても、問題点の一つとして「大迫頼み」なる要素があげられていたのは興味深かった。日本の攻撃はあまりにも大迫に頼りすぎていた、このままでは危ない、というのである。

 大迫の存在が、現在の日本代表にとって非常に大きな意味を持っているということについては、わたしも全面的に同意する。ただ、それがけしからん、このままではいけないという意見には賛同しかねる。ある意味、「出る杭(くい)は打たれる」という日本的特徴の変形バージョンかな、とも思う。

 個人しかり。チームしかり。どこかが突出した歪(いびつ)なチャート図よりは、バランスのとれた姿を好む傾向が日本人にはある。素晴らしくドリブルの得意な子供に、一生懸命パスや守備を仕込もうとする指導者は、おそらく、世界で一番多い。それが一概に悪いことだとは言わないが、結果的に一芸に秀でたタイプが出にくくなっているのは事実である。

 いまの日本代表が「大迫頼みだ」と心配する方にお伺いしたい。ならば今回のアジア杯で、彼は何点とったのか。日本が奪った得点は、すべて大迫を経由したものだったのか。

 カタールのメディアやファンが「アルモエズ・アリ頼み」を懸念するのならばわかる。彼の得点力なくして、彼らの躍進はなかった。けれども、W杯で戦うことを考えた場合、まだワールドクラスとは言い難いストライカーに頼りすぎるサッカーでは心もとないからだ。

 だが、アジア杯での日本代表は、大迫を武器として大いに活用はしたものの、そこに頼りきってはいなかった。むしろ、頼らなすぎてサッカーの方向性を見失いかけたぐらいだ、とわたしは思っている。

 もし、アルジェリアのファンが「我が代表はブルフォディルに頼りすぎだ」といっているのを耳にしたとしたら、日本のファンはどう感じるだろう。あるいはハンガリー人が「シャライ頼みは問題だ」と嘆いているのを知ったら?ほとんどの方はご存じないだろうが、彼らは、ブンデスリーガで大迫より1点多くゴールを奪っている選手である。

 一人の選手にチームの命運を託すやり方は、確かにリスクがある。だが、だからといって自分たちの武器を否定するのはナンセンスである。磨けばもっと威力を発揮するかもしれない武器を、成長途中の段階で放棄してしまうのはあまりに惜しい。

 ちなみに、わたしがアジア杯で一番の手応えとして感じたのは、決勝戦後半の戦いぶりだった。その硬質さ、速さが森保監督のサッカーと合うのか心配だった武藤が、大迫と関係性を築き始めていた。

 日本の武器に、新たなオプションの可能性が芽生えた――それがたまらなく嬉(うれ)しかったのだ。(金子達仁氏=スポーツライター)

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