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【コラム】金子達仁

日本代表はまだ強くない。森保監督もまだ名将ではない

[ 2019年2月6日 06:00 ]

報道陣の質問に答える森保監督(撮影・沢田 明徳)
Photo By スポニチ

 この試合の担当アナが、長く「三菱ダイヤモンドサッカー」の実況を務めた金子勝彦さんだとしたら、きっとこう言ったに違いない。

 「ノット・ヒズ・デー――きょうは彼の日じゃない」

 わたしが吉田の立場だったとしたら、天を呪っている。目の前でオーバーヘッドをたたき込まれ、ほんの少し寄せが甘かったところをスーパーミドルで締めくくられ、決定的なヘディングシュートをバーの上に浮かし、揚げ句の果てには単なる空中戦の競り合いで相手のヘッドが自分の手を直撃である。守備の要にしてチームのキャプテンを務める男がこれだけ“ババ”を引き続けてしまったら、そうそう勝てるものではない。単なるノット・ヒズ・デーどころか、スーパー・ノット・ヒズ・デーだった。

 正直、コンフェデ杯がまだ存続していたのであれば、わたしはもう少しショックを受けていた。だが、大陸王者のみに出場が許されたコンフェデ杯への出場という“副賞”は消滅した。そのことが、少しばかり気分を軽くしてくれている。

 とはいえ、愉快な気分ではもちろんない。特に、前半の戦いぶりについては猛烈なストレスを感じている。

 失点に関しては仕方がない。吉田の責任が皆無だったとは言わないが、あれは、相手にとっても生涯に一度あるかないかのシュートだった。ここはもう、素直に脱帽するしかない。

 問題は、その直後である。言うまでもなく、失点したあとのキックオフは、ゴールを許した側によって始められるが、2度の失点のあと、日本は信じられないほどあっさりと相手にボールの保持権をプレゼントした。単にプレゼントしただけでなく、きっちりと決定機に近い形までつくらせた。

 勢いにのった相手に、さらなるエネルギーを送り込むような行為だった。

 準決勝のイラン戦でも感じたことだが、いまの……というより歴代の日本代表は、試合の途中で流れを変えることを極端に不得手としている。一度おかしくなってしまうと、ハーフタイムまでズルズル。一度ロッカールームに戻らないと手が打てない。

 後半の45分間、カタールは完全に守勢に回り、吉田のハンドがなければ逆転も十分に可能な展開だった。ならば、もし日本の選手がハーフタイム前に流れを立て直すことができていたら。自分たちで考え、自分たちの力で流れを食い止めることができていたら。カタールが守勢に回る時間はもっと長くなり、優勝経験のない彼らが音をあげていた可能性は極めて高い。

 同情の余地はある。遠藤の負傷により、中盤の底はこの大会で初めて柴崎と塩谷のコンビとなった。塩谷はもちろん悪い選手ではないが、柴崎からすると、役割分担の微妙な変化を感じながらプレーしていたはずである。この日の彼は、守備面での貢献度があがった分、パス成功率をかなり落としてしまっていた。

 勝てなかったのはもちろん悔しい。ただ、これで良かったかも、という気もしている。勝っていたら、チームと森保監督を祭り上げる動きには歯止めが利かなくなっていただろう。日本代表はまだそれほど強くない。森保監督も、まだ名将ではない。

 たかがアジア2位のチームなのだ――いまは。(金子達仁氏=スポーツライター)

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