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【コラム】海外通信員

現代フットボールへの果てなき憎悪
センチメントは? ビジネスに染まったフットボールへの嫌悪感

[ 2017年12月24日 06:00 ]

アトレチコ・マドリードのFWトーレス
Photo By AP

 アトレティコ・マドリードの会長エンリケ・セレソがスペインのフットボール雑誌『パネンカ』とのインタビューで発した言葉が大きな話題になっている。

 映画プロデューサーを本職とするセレソは、『パネンカ』の「フットボールと映画」という特集内のインタビューで「フットボールからセンチメントは失われたのか?」との問いに対して、こう語った。

 「センチメントは排するべきだ。センチメントや忠誠はとても良いものだが、(フットボールは)ビジネスなんだ。私は現実主義者なんだよ。一選手に恋をするとして、(その選手に対して)目もくらむようなオファーが届いたとしたらどうする? 私は良い形で退団してくれることを望む」

 「退団を求める選手がいるならば、そうすればいい。ファンは非現実的な感情を捨てることになるだろう。選手たちはエンブレムにキスをするためにここにいるわけではない。ゴールを決めるため、良いプレーをするためにいるんだ。私たちが選手を獲得するときには、その選手が秘めている感情ではなく、その足と頭でもって獲得を決めている。興味があるのは、もし明日にシメオネがクラブを去ったとして、ファンが彼をヒーローと考え続けるのだろうか?」

 セレソのこの発言は、もちろんプロフェッショナルとしての心構えを説いたものであるが、様々なメディアで紹介されると大きな波紋を呼んだ。スペインの中でも情熱的として知られるアトレティコの会長が言うべき発言ではない、と。奇しくも、アトレティコはこの発言が広まった直後に行われたリーガエスパニョーラ第17節、本拠地ワンダ・メトロポリターノでのアラベス戦に、下部組織出身フェルナンド・トーレスのゴールで勝利。僕が愛してやまない『マルカ』のアトレティコ番アルベルト・ロメロ・バルベーロは、セレソの言葉をきっかけとする戦評を記した。

 「トーレスはセンチメント、見てみろよ、フットボールはビジネスと誰かが言ったばかりのことだ。もしニーニョ(トーレスの愛称、子供や少年の意)がフットボールはただのビジネスと考えていたら、ちょっと前から名声で劣るリーグにいるだろうし、抗しがたい金をつかんでいたはず。しかしながら彼はセンチメントを選んだ」

 「かつてないほど結果に固執しているアトレティコ。リードを得た彼らに、手を加えられるチームなど存在しない。フットボールに結果以外のものなんてあるのだろうか。ああ、一つある。センチメントだ。ビジネスはやる人間がやればいい。私たちはトーレスとともにある」

 この一件で頭によぎったのは、「オディオ・エテルノ・アル・フトボル・モデルノ」という言葉。スペインでは数年前から流行している言葉だが、意味は「現代フットボールへの果てなき憎悪」で、ビジネスに染まったフットボールへの嫌悪感を示すものである。

 EU加盟国の国籍を持つ選手を外国人枠から除外したボスマン判決、また放映権ビジネス隆盛の影響により、フットボールは1990年代からビジネス色を強めていった。この商業化のプロセスはフットボールを観光者、世界のどこにでもいるファンをターゲットとするものへと変容させ、その地域性を少しずつ薄れさせている。それに伴い、クラブ間の格差も広がった。ビッグクラブが非ビッグクラブの生え抜き選手をいとも簡単に獲得し(最近のレアル・マドリードであれば、契約解除金以上の額さえ支払う余裕がある)、奪われた側のクラブのファンがその生え抜き選手やクラブに罵声を浴びせたり慨嘆したりする光景はもう何度も、何度も繰り返されている。

 「オディオ・エテルノ・アル・フトボル・モデルノ」を語る人々は、搾取される側に立った非ビッグクラブのファンが多数を占める(リーガエスパニョーラに新冠スポンサー契約を結んだり、バルセロナがその誇りを捨て去ってユニフォームの胸スポンサーを付けたことなどで、この言葉を口にする人々もいるが)。彼らのことを、ただの懐古主義者と捉えることは難しい。レアル会長のフロレンティーノ・ペレスが欧州スーパーリーグ発足は現実味のある構想と公言するなど、昔と今のフットボールの境界は徐々に、確実に濃くなっているのだから。

 リーガを取り巻く状況は、日本でも随分と変化したように思える。WEBメディアの台頭で速報性を奪われた雑誌媒体はより専門的な内容を取り扱うようになったが、WEBメディアもポータルサイトでアクセスを取ることを主眼に置き、レアルとバルセロナ、良くてアトレティコの情報しか伝えない。たとえバレンシアが優勝争いに絡んでも、チームの状況が細かく伝えられることはない。もちろん、エイバルやヘタフェのように日本人選手が在籍すれば注目は浴びる。ただリーガ第15節ヘタフェ対エイバルでは、リーグ側が大々的な日本人キャンペーンを行い、これも「オディオ・エテルノ・アル・フトボル・モデルノ」の標的にされていた(乾貴士は試合後、「なんでこんなに盛り上げる必要があるのか。放っておいてほしいですね」と話していたが、リーグ側が選手心理に影響を及ぼし得るキャンペーンを実行するのはいただけないと個人的には思う)。

 では「オディオ・エテルノ・アル・フトボル・モデルノ」が過去と今のフットボールを比較できる人々が使用する言葉として、新世代のファンはこのスポーツをどのように捉えているのだろうか。イギリス人ジャーナリストのサイモン・クーパーは、新たなフットボールファンは一クラブだけに愛情を注ぐわけではないとの見解を示す。いつ、どこでも世界中の試合を見ることができる現代では、戦術やテレビゲーム、または単純に強いからという理由で「チーム」を好きになる。が、それは一時的な思い入れで、「クラブ」自体に愛情を向けることにはつながりづらいためだ。

 繰り返すが、セレソの発言はプロフェッショナルとしての心構えを説いたものである。クラブがすべきは、チームの勝利という結果で(旧世代&新世代の)ファンを満足させることにほかならず、「フットボールはビジネス」との考えを明確に持たなければ現代フットボールで生き残っていくことは難しい(アトレティコはスペインでビッグクラブとして扱われるが、しかし搾取される側でもある)。……それを正直に公の場で言うことが正しいのか、狸になるのが得策なのかは分からないが。いずれにしろ今回の一件では、フットボールに内包されるセンチメントがかくも難しく、尊いものであることに改めて気付かされた。トーレスはアラベス戦後、「アトレティコで再び居場所を勝ち取る必要があるならば、もちろん闘っていく。このクラブのユニフォームを着続けること以上の褒賞なんてないんだから」と語っていたが、その言葉には計り知れない重みがあった。(江間慎一郎=マドリード通信員)

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