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【コラム】海外通信員

本物のマルセイエになる

[ 2017年2月3日 16:00 ]

今冬、マルセイユに加入したフランス代表MFディミトリ・パイエ
Photo By AP

 「メンタルが弱い日本人にマルセイユは無理」の下馬評を覆し、熱狂の名門で「グッドサプライズ」(レキップ紙評)を実現した酒井宏樹。そんな酒井がここ一週間、ついに最初の試練に見舞われた。

 それは1月22日(第21節)のリヨン(OL)戦でやってきた。

 OMの右SB酒井の前に立ちはだかったのは、OL左ウィングのヴァルビュエナ。セックステープ事件で恐喝の犠牲者になったうえ、容疑者ベンゼマの故郷リヨンで苦戦、ケガにも見舞われ、EURO2016出場もフイにしてしまった選手である。フランス人は「さすがのヴァルビュも今回ばかりは再起不能だろう」と思っていた。ところが昨年末、またしても蘇ったのである。不死鳥のごとくに。

 そのヴァルビュエナが酒井のプレーを研究していたのは、まず間違いない。レキップ紙に大きく登場した酒井のインタビュー(1月14日付)も、しっかり読んだはずだ。そして「よし、サカイを翻弄してゴールを決める」、と決意したに違いない。「本物のマルセイエ(マルセイユ人)とは何かをみせてやる」、とも思ったかもしれない。古巣OMについては知り尽くしているからだ。

 これにたいし酒井は、ヴァルビュエナの研究をしきれていなかった。

 それは試合前半の佳境時に現れた。「プティ・ヴェロ」(ミニ自転車)の異名をとるヴァルビュエナがスピード突破をはかり、やや遅れをとった酒井が懸命に阻止しようともつれ合う。その瞬間ヴァルビュは、酒井の腕に巧みに自分の腕を絡め、酒井ともども倒れ込んだ。審判の側からは、酒井の陰に入って小さなヴァルビュの腕の動きが見えなかった。そこで審判は、酒井がヴァルビュエナを倒したとみて、酒井のファウルをとった。

 酒井は「きたないやり口!」「何だ、こいつは」という感情を持ったに違いない。もちろん気持ちはわかる。だがラテンヨーロッパでは「マリス」(ずる賢さ)も戦術のうち。やられてもすぐ消化しなければならない。くれぐれも引きずってはならないのだ。逆に「その手には乗らないぞ」と大奮起しなければならない。しかも苛立たずに、自分の強みを使って、である。

 だが酒井は不消化感を引きずってしまった。こうなればヴァルビュの思う壺。「プティ・ヴェロ」は翻弄を楽しみ始める。そして前半終了間際、ついに「スペシャル・ヴァルビュエナ」と呼ばれるプレーが酒井を襲った。対面する酒井を嘲笑うかのように、ヴァルビュはクロシェ(鉤型フェイント)を仕掛けて右にボールを出すや、直ちに蹴り抜いたのだ。ボールはOM時代を思い出させる見事な軌道を描いて、ゴール上隅にずぼっと入った。

 OMはこの失点からついに立ち直れず、OLの猛プレッシングと激しい動きに窒息させられて敗北(3−1)。翌日の採点と寸評も苛烈だった。酒井はチーム最悪の「2」を頂戴し、見出しまでつけられた。見出しは、「サカイ、あまりにもナイーヴ」だった。日本語の「ナイーヴ」はなぜかふんわりしているが、本当は強烈で、馬鹿がつくほどお人よし、という意味である。寸評の内容もピシャリ、平手打ちだった。

 「OMの歴史を十分おさらいしてこなかった。それでスペシャル・ヴァルビュエナの犠牲になり、一杯食わされた」

 OMの歴史――。それは、教科書的知識ではなく、ナマの歴史のことである。

 ボルドー育成センターから捨てられたヴァルビュエナがOMに拾われ、干されても叩かれても這い上がったこと。パイエットを凌ぐテクニックとプレースキック、どんな壁もすり抜ける俊敏な動きで司令塔にのし上がり、ビッグカードでは必ず決定的活躍をしてOMを救ったこと。それなのにリヨン入りするや、OMサポーターから首吊り人形まで掲げられたこと。それでもめげず、不幸な事件が起きるまでフランス代表を背負ってきたこと。あらゆるDFをきりきり舞いさせ、むかつけばむかつくほどDFは彼の罠に嵌るということ。しかも酒井を襲ったゴールの後、OMのためにセレブレーションをしなかった、というエレガンスの持ち主でもある。

 マルセイユではまさに、ヴァルビュエナのように図太く、ときにずる賢く、人間くさく、とりわけ強靭にならねばならないのだ。

 1月27日(第22節)のモンペリエ戦では圧勝した(5−1)OMだが、ミスを恐れた酒井はどこか自信なげだった。この一週間、監督にも絞られただろうし、チームメイトやサポーターの目も気になったに違いない。

 だがこれはいい機会である。むしろヴァルビュエナのレッスンに感謝すべきかもしれない。そもそも前述のレキップ紙インタビュー冒頭には、ハリルホジッチ日本代表監督のこんな言葉が引用されていた。

 「ヒロキはディシプリンがあって、途方もなく優しい男だ。ナイーヴとさえ言えるかもしれない。悪賢さなどいっさいない。私からみるとこれは欠点だ。フットボールは本来的に誠実ではないからだ。私は彼が本物のマルセイエになってくれるよう祈っている」

 本物のマルセイエ――。それは、生来の人格を変えるという意味ではない。戦場で鍛えられて強くなるということなのだ。

 試練を逆手にとって数倍も強靭になること。相手のずる賢さを笑って消化すること。だがやられっぱなしにはならないこと。クリーンさだけでなくマランになる(いい意味でずる賢くなる)強さももつこと。仕返しではなく実力と努力で相手をギャフンと言わせること。「よく見られたい」と思わずOMファンのためにプレーすること。そのためならときに大胆に、ちょっとファダ(笑える狂人)になってもいいこと。チームメイトが諦め気味になったときこそ、果敢な何かで流れを変えること…。

 これまで築いたプレースタイルを基礎にしつつ、バリエーションも獲得したい。

 酒井だけのせいではないが、攻めあぐねてバックパスするシーンが多いからだ。またトーヴァンに預け、オーバーラップして右上で待っているのに、トーヴァンからパスが戻ってこず(トーヴァンは左利きのうえソリストなので、右後方を見ずに自分でゴールに向かいたがる)、期待外れ感を背負って戻り遅れるシーンもしばしば見かける。

 トーヴァンと話し合ってワンツーをつくる努力をすると同時に、トーヴァンがどうしても一人でゴールに向かってしまうようなら、もっと下から大きめのクロスを上げてもいいし、サイドチェンジのロングパスやスルーパスにももっと挑戦していい。パリSGのオリエやムニエのように、好機があればサイドから大胆シュートしてしまってもいいだろう。だがくれぐれもすぐに走り戻らねばならないのだ。ここだけはおろそかにしてはならない。

 サンソン、エヴラに次いで、ついにパイエットもOMにやってくる。今後はパイエットを中心にしたプレー構築の要点と自分の役割を、いち早く呑み込むことが求められるだろう。これまで弱みだった左サイドが、一気に強みに変わるかもしれない。チームも酒井もここからが本当のスタートなのである。

 そして1月31日には、カップ戦でまたしてもリヨンと激突する。ヴァルビュエナに「本物のマルセイエ」として堂々返答する酒井の姿を、楽しみにしている。(結城麻里=パリ通信員)

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