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【長友インタビュー 海外編】11年の海外生活「一番学んだことはメンタリティー」身の危険感じたことも…

[ 2021年9月21日 17:00 ]

インタビューに答えるFC東京・長友(FC東京提供)
Photo By 提供写真

 サッカー日本代表DF長友佑都(35=FC東京)がインタビューに応じ、11年にわたる欧州挑戦を振り返った。10年にFC東京からイタリア1部チェゼーナにレンタル移籍し、その後に所属した名門インテルでは約7年間もプレー。酸いも甘いも、そして危険な出来事も経験した男が成長の過程を回想する。

――約11年の海外生活で学んだことは。
 「一番はメンタリティー。自分が育った環境ではない、全く違う文化や言語もそうだし、そこにすぐさま適応しないといけない。自分のプレーしたイタリアでもフランスでも、外国人枠が3~4枠で、南米やアフリカの選手たちと争わないといけなかった。ファン・サポーターにもクラブにも助っ人として見られており、大きなプレッシャーや責任を背負いながらプレーしていた。ダメだったらすごく批判され、酷評される。なので、メンタル面が一番成長したかなと思う」

――その危機感は日本ではないもの。
 「試合に負けた翌日は外に出られない。身の危険を感じたこともあるし、そのくらい熱さのある厳しい環境でやっていた」

――身の危険を感じた出来事とは。
 「すごく批判を浴びたのはインテル時代。7年所属していたし、チームや自分自身が上手くいかない時期には批判もすごかった。直近ではマルセイユの時にチームが勝てず、サポーターが練習場に押しかけてきた事件があり、警察が何十人も来てくれた。クラブハウスに僕らはいたが、中までサポーターが入ってきて、発煙筒を焚かれたりガラスを割られた。ケガした選手もいて、本当に命の危険を感じた」

――そんな厳しい環境で戦い続けられた理由は。
 「自分は覚悟や信念が違うレベルにあると感じている。腹をくくっているし、『何があってもこの場所で戦い抜くんだ』『ここで活躍するんだ』と。そこはブレたことがない。それは夢や目標がしっかりとあり、その目標を叶えるために日々をしっかり過ごすという覚悟が強く柱としてあるので、そこがブレなかったということ」

――欧州移籍した11年前よりもハングリーでFC東京に戻ってきた。その熱はどこから生まれるのか。
 「11年前よりも飢えている。どこからと言われると、やはりこのクラブでJリーグ優勝したい。頂点に立ちたい。それが一つ。あとはW杯に対する思いがある」

――インテル時代には試合に出れないときにクラブハウスに行って走っていたと。
 「悔しい気持ちやエネルギーが自分を成長させてくれると分かっている。試合に出られないときは隠れてトレーニングしていたし、トレーナーにダメと言われても行っていた。アウェー戦で家に夜中の3時とかに帰ってきても、家の近くの坂道を走っていた。それくらいやらないと残っていけないし、今の自分はいない。35歳で現役をやれていないと思う」

――若手も「これだけやらないと世界トップクラスにたどり着けないんだ」と思うはず。
 「自分の姿勢や言葉で、思いだったり熱さを伝えたい。人は慣れてしまうので、ぬるい環境にいてはダメ。例えばぬるいお湯に浸かっていると麻痺してしまい何も感じなくなる。ただ、そこに一つ熱いものが入ってくると『熱い!』となる。自分たちの意識だけでなく、サッカーに対する情熱も含めて、このままじゃダメなんだなと感じてもらいたい。そのためには自分が一番熱量を持ってないとダメなので『長友さん熱いな』『やべぇな』と思われるくらいの熱量を持ってないといけない」

――日本代表の盟友でもある本田圭佑がリトアニアに移籍した。
 「やり取りはしています。僕がFC東京に決まるときも連絡した。お互いの決断を尊重しているので、それぞれの場所でお互いに頑張ろうぜという前向きな話にしかならない」

――本田はJリーグに復帰しないと明言していた。その考え方をどう捉えるか。
 「面白い考え方だと思う。みんなが常識に従うとか普通の道を歩むよりも、圭佑みたいにいろんな国に行って勝負をしていくというような、癖がある人がたくさんいる方がサッカー界も盛り上がる。癖のある決断ができることが彼の持っている1つのカリスマ性というか、パーソナリティーだと思う。非常に面白い」

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2021年9月21日のニュース