自分の「最期」を覚悟していたようなマラドーナさん

[ 2020年11月29日 08:45 ]

神の子天へ――。86年、W杯メキシコ大会で優勝し、チームメート担ぎ上げられ、ワールドカップを掲げるアルゼンチン代表のMFマラドーナ氏(中央)(AP)
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 【大西純一の真相・深層】アルゼンチン代表のレジェンド、ディエゴ・マラドーナさんが11月25日、ブエノスアイレスの自宅で亡くなった。60歳になったばかりだった。アルゼンチンは3日間、国中が喪に服したが、遺体が安置された大統領府周辺には長蛇の列ができたという。

 だが、ここ数年、体調は優れなかったようだ。10月30日の還暦の誕生日には、ラプラタ市のヒムナシアのスタジアムで試合前に行われたセレモニーに出席したが、歩くのもやっと。両脇を支えられながらピッチに現れたほどだった。マスクをしていたが、やせていて、いかにも体調が悪そう。試合終了までいる予定だったが、途中で退席したという。11月2日にブエノスアイレス市内の病院に入院、3日に硬膜下血腫の手術を受け、11日に医師の制止を振り切って退院し、自宅で療養していた。

 現役時代から薬物使用をうわさされ、体はボロボロだった。1994年W杯米国大会では禁止薬物が検出され、ドーピング違反で大会から追放された。2000年には心疾患で倒れ、親交が深かったキューバのフィデル・カストロ議長の誘いで同国で療養した。右肩にゲバラのタトゥーを入れていることはよく知られているが、キューバに対しては親近感を持っていた。偶然だと思うが、亡くなった日はカストロ議長の命日だった。

 近年は激太りしたり、体調は優れず、マラドーナさんも「長くはないな」と感じていたようだ。11月上旬に手術を受けた後、すぐに帰宅したのも、「最期は自宅で」と考えたのかもしれない。

 マラドーナさんは何度も来日しているが、82年1月にボカ・ジュニアーズの一員として来日したときはすごい騒ぎだった。「20億円男」といわれ、いまなら「100億円男」という感覚だ。当時の日本代表戦は、対戦相手のスター選手が主役で、日本代表は引き立て役。このときの3試合はマラドーナさんのための試合だった。私が初めて記者として取材した日本代表戦だが、マラドーナさんのオーラのすごさが印象に残っている。だから、というわけではないが、死に方もマラドーナさんらしいものだった。

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