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名良橋晃氏「篤人以外には考えられなかった」 鹿島右SB先輩として引退ねぎらう「背番2渡してよかった」

[ 2020年8月24日 07:00 ]

明治安田生命J1第12節   鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日    カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>内田を惜しむたくさんのスタンドの横断幕に向かって頭を下げる内田(撮影・篠原岳夫)
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 篤人と初めて会ったのは彼が入団する前年、2005年夏、鹿島の練習に参加したとき。2タッチゲームなどでいいプレーを見せていた。本田、小笠原、本山ら日本代表級の選手がズラリと並ぶ中、物おじせずに堂々とやっていた。その後入団が決まり、一緒にプレーできたことはうれしかった。

 スピードが特長で縦への推進力があった。クレバーで、サイドバックの型を変えた。僕は06年限りで契約満了となったので、一緒にできたのは1年間だったが、退団するとき強化部長の鈴木満さんに「僕の背番号2番を篤人につけさせてほしい。彼が嫌だといってもぜひ」とお願いした。僕がジョルジーニョから受け継いだ2番は篤人以外には考えられなかったし、他の選手に譲りたくなかった。翌年2番をつけてくれて、正直ホッとした。その年から鹿島はリーグ戦で3連覇したが、彼は僕が考えていた以上の「2番」になり、僕を超えた。背番号2を渡して良かったと思っている。

 僕が鹿島を離れた後も気になって篤人のプレーはよく見ていた。解説者になり、シーズン中にスタジアムで会ったときはいつも僕がパワーをもらっていた。鹿島でも欧州でも日本代表でも活躍し、日本だけでなく、世界にもインパクトを残した。まだ32歳で、一ファンとしては「正直もっとプレーを見たかった」と思うが、こればかりは仕方がない。

 次の2番は誰か気になるところだが、なかなか見当たらない。それぐらい篤人の存在は大きかった。(元日本代表DF)

 ◆名良橋 晃(ならはし・あきら)1971年(昭46)11月26日生まれ、千葉市出身の48歳。千葉英和高から90年に湘南の前身・フジタ入り。攻撃的なサイドバックとして注目される。97年に鹿島に移籍、日本代表でも活躍し、W杯フランス大会にも全3試合出場した。07年に湘南に復帰したが、同年限りで引退。SC相模原の下部組織の指導者を経て現在は解説者。

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2020年8月24日のニュース