J1名古屋を支える元GK広報、現役時代の“経験”生かし心に誓う「恩返し」

[ 2020年4月22日 05:30 ]

名古屋広報部でセカンドキャリアを歩み始めた西村弘司氏
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 西村弘司さん(35)の1日は選手や関係者への「おはよう」から始まる。京都と名古屋で14年間GKとしてプレーし、16年限りで現役を引退。Jリーガーのセカンドキャリアとしては珍しく、17年に名古屋の広報に就任した。

 「名古屋を契約満了になって、他のクラブで現役を続ける気持ちもありました。でも一方、どこかで線引きしないといけないな、とも思っていた」

 揺れる思いに区切りを付けさせたのはクラブ史上初のJ2降格だった。「16年にJ2に落としてしまった申し訳なさと責任感がありました。違う形でクラブに貢献しようと思ったんです」。当時、GKコーチとクラブ職員の打診があったが「仕事のイメージがあまりできないことにチャレンジしたかった」と職員になることを選択し、広報コミュニケーション部広報グループに配属された。

 着慣れたユニホームからスーツへ、スパイクは革靴へと変わった。違う“戦闘服”を身にまとった当初は戸惑いの連続だった。「やることが多かった。現役時代に見えていた広報の仕事は、氷山の一角だと思い知った」。例えばプレスリリース。たった1枚の紙でも、そこに不適切な表現がないかどうかと最大限の気をつかう。試合開催日は中継局や相手クラブ広報との打ち合わせ、SNS用の素材撮り、試合後の取材導線の確認。キックオフ1時間30分前にスタジアム入りした現役時代と違い、開始5時間前と早くなった。日々の業務は午前9時に出社し、帰宅は午後8時を過ぎる時も多い。「裏側でいろいろなことをしてくれていたんだと分かりました」。選手時代には疎かったパソコンの基本操作もマスターした。

 広報として4年目。「自分のペースで仕事ができないのは大前提として念頭に置いている」とし、その上で「楽しいですね」という。そして現職で最も大事にしているのは、人と人とのつながりだ。選手、スタッフ、他部署の職員、メディア…。「おはよう」の言葉には、キメ細かな配慮が隠されている。
 
 西村さんの1週間は、取材調整から始まる。土曜日に試合が開催されればオフ明けの月曜日はパソコンに届いた取材申請を確認する。一つひとつを精査し、選手と調整する中で「どういう感じで話を持っていくかは選手個々で変えている」。ここで生きるのが、朝のあいさつを含めた日々のコミュニケーションだ。

 「ある程度、選手やスタッフの性格は把握している。例えば“練習前の取材は嫌”という選手もいれば、逆に“練習前の方が良い”という選手もいる。最初にNOと言われないように話をします。あと取材内容によっては選手が嫌がる可能性があるなと感じれば、事前にメディアに“こういうアングルでやってみては?”と話をすることもあります」

 練習後、西村はクラブハウス受付室にいるのを日課にしている。日々の業務をこなしながら同室の前を通って帰宅する選手に「お疲れさま」と声を掛けるのが目的だが、些細(ささい)な表情や言葉使いから心の機微を感じられることも多い。今は調子が良い時期か、少し落としている時期か。それは取材を受けるタイミングを図るバロメーターにもなっている。

 なぜ、ここまでするのか。答えはシンプルだ。「名古屋グランパスの名を広く伝えたい。難しい取材依頼もあるけど、なるべく要望には応えていきたいんです」。現役選手として名古屋に9年間在籍。「恩返しをしたい。良いクラブにしたい」。だからこそ一番うれしい瞬間は「スタジアムが満員になった時。少しは力になれたのかな、と」と目を細める。

 「現役の経験が生きていると思うのは大変な時があっても態度に出さないこと。GKはメンタル的に本当は引きずっていても、それを見せたらダメ。広報も同じです。話しかけづらい雰囲気は作らないようにしている。そうじゃないと周りの人が仕事を頼みづらくなるじゃないですか」

 縁の下の力持ちとして10年のリーグ初優勝を支えた。次はピッチ外からチームを盛り上げていく。(飯間 健)
 
 ◆西村 弘司(にしむら・こうじ)1984年(昭59)7月7日生まれ、三重県伊賀市出身の35歳。四日市中央工から03年に京都入団。08年から16年まで名古屋在籍。J1通算21試合出場。

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