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五輪代表の調整の難しさ

[ 2020年2月11日 08:30 ]

森保監督
Photo By スポニチ

 【大西純一の真相・深層】1月のU―23アジア選手権で日本は1分け2敗、1次リーグで敗退した。VARでPKと判定されて失点したり、欧州でプレーしている選手が招集できなかったことも大きいが、連係の悪さで失点するなど、チームが成熟していない。7月の東京五輪は開催国として出場権を持っており、金メダルを目標に掲げているが、今のままでは厳しく見える。

 前回1964年東京五輪の前には1月から6月まで半年間に及ぶ合宿を行った。選手は千葉県検見川の東大グラウンドに泊まりこみ、社会人の選手は早朝練習の後そこから丸の内などの会社に通勤し、午後はグラウンドに戻って練習した。当時の攻撃は左ウイングの杉山隆一さんからセンターフォワードの釜本邦茂さんへのホットラインが軸。杉山さんは毎日200本も釜本さんへクロスをあげる練習をしたという。お互いに「ここに出せ」「そこに走れ」と要求しあい、時には「このタイミングでは無理だ」「こっちの状況も考えて要求しろ」と激しく言いあった。杉山さんは「あうんの呼吸」と言っていたが、それぐらいやったから生まれたものだった。銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪の前にも7~8月に欧州遠征を行った。やれることは徹底的にやった。

 だが、プロの時代となり、代表合宿で個の部分のレベルアップを図る必要はない。興行も大事なので、今は半年間もの代表合宿は不可能だ。森保監督はA代表と五輪代表を兼任しているが、A代表と五輪代表の活動期間が重複することが多いために、五輪代表に細かい戦術や考え方が十分に浸透しない。元はといえば選手選考でA代表と五輪代表が綱引きするのを回避することが大きな理由だった。久保はA代表か五輪代表か――となったときに兼任監督なら“取り合い”にはならない。そしてトルシエ監督時代のようにユース代表から五輪代表、A代表と一貫して同じサッカーで強化できるメリットもある。

 だが、トルシエ監督時代は00年のシドニー五輪後、02年のW杯は予選もなく、スケジュール的には五輪からW杯の流れがつくりやすかった。今回から五輪予選とW杯予選が重なり、日本は五輪予選がないとはいえ、A代表と五輪代表を兼任するのはかなり難しい。日程を考えれば兼任はリスクがある選択だった。

 97年秋に行われた98年W杯フランス大会のアジア最終予選は、当初集中開催方式だったが、7月になって急きょホーム&アウェー方式に変更された。既にJリーグの日程は組まれていたので、数試合は日本代表選手抜きでJリーグの公式戦を行った。今回も五輪代表は、事前準備で中断期間よりも数試合早くチームから離れる。だが、Jクラブなら協力するが、今は欧州組が増えて、欧州のチームに協力を要請しても簡単にはうんとはいわない。日本人のレベルがあがったからこその悩みだ。

 日本サッカーの今後を考えれば、まずは東京五輪は重要だ。金メダルに輝けばサッカーがクローズアップされるし、新しいスターが誕生する。いい結果を残せなければ、W杯予選に影響する可能性もあるし、一般の人の目がサッカーから他の競技に向くかもしれない。東京五輪の成績は日本のサッカー界の未来を左右する。「こうすれば解決できる」という特効薬はない。森保監督に託したのだからやりたいように、サッカー界をあげてバックアップするしかない。

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2020年2月11日のニュース