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神戸 創設と震災から25年 消滅危機乗り越えつかんだ悲願の初タイトル 

[ 2020年1月17日 05:30 ]

震災から20日後の2月6日、倉敷で始動した神戸(C)VISSEL KOBE
Photo By 提供写真

 阪神・淡路大震災から25年が経過し、当時は神戸の現役選手で、現在はスカウトを担当する幸田将和氏(50)が「1・17」を振り返った。95年にクラブが創設され、始動を予定していた日に未曾有の災害が発生。消滅危機を乗り越え、翌年にJリーグ昇格を果たした。元日に天皇杯を制した中、初タイトルに至るまでの道のりに思いをはせた。

 
 95年1月17日の未明、幸田氏は結婚したばかりの千代夫人を車に乗せて広島から神戸に向かっていた。岡山に入った頃の午前5時46分、車内で激しい揺れを感じた。高速道路を降りるように命じられ、立ち寄ったガソリンスタンドで大災害が起きたことを知った。

 「テレビを見たら、あの震災の映像が流れていた。誰とも電話がつながらなかったけど、とりあえずマンションに行こうと。神戸市西区まで10時間ぐらい掛かったかな」

 94年まで広島に在籍し、新たに創設される神戸への加入が決まったのが年末。入籍した千代夫人との結婚式を1月8日に済ませていた。マンションのカギを受け取るため、当初は17日の明け方に三宮に到着予定だったが、友人らが急きょ送別パーティーを開いてくれたため到着が遅れた。

 「マンションはヒビが入ったぐらいで。でも、カギを受け取るはずだった不動産屋は三宮の中心部にあって“もし地震が起きた時間帯に着いていたらどうなっていたのか”という思いは今もある」

 震災から20日後、2月6日に倉敷で始動したチームは、メーンスポンサーの撤退による消滅危機もあったが、翌年にJリーグ昇格を達成する。当時、神戸の練習場の隣には仮設住宅があり、蹴ったボールが入ることも多々あった。被災した住民からかけられたのは、温かい言葉だった。

 「大変なはずなのに“頑張ってよ”ってね。逆に勇気づけられて“自分たちが街を盛り上げていかないといけない”という思いは選手みんなにあった」

 あれから25年。神戸は元日に天皇杯を制して初のタイトルを手にした。今ではスカウトとしてクラブに携わる幸田氏は言う。「あの頃があったから今がある」と――。

 幸田 将和(こうだ・まさかず) 1969年(昭44)9月12日、愛媛県生まれ50歳。南宇和高からマツダSCに加入し、95年に広島から神戸へ移籍。99年に横浜FC、02年に愛媛FCへ移籍し03年限りで引退した。05年から神戸でスカウトを担当する。

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