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闘莉王 引退会見で楢崎氏と中沢氏のサプライズ登場に涙 いつも全力「誇りに思う」

[ 2019年12月2日 05:30 ]

現役引退を発表し、元日本代表の中沢佑二氏(左)、楢崎正剛氏(右)に拍手を送られるJ2京都の闘莉王
Photo By 共同

 J2京都の元日本代表DF田中マルクス闘莉王(38)が1日、都内で会見し、現役引退を正式発表した。盟友の元日本代表GK楢崎正剛氏(43)と同DF中沢佑二氏(41)のサプライズ登場に涙と笑顔。日本サッカー界へ向け、熱い気持ちで泥臭く戦う“闘将魂”の継承を願った。

 光るものを隠せなかった。サプライズで楢崎氏が登壇した時、闘莉王は涙をこぼした。心で動き、心で戦う―。心境を吐露する会見には、希代の闘将らしさが詰まっていた。

 「一瞬、一秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきた。すごく誇りに思います。時には頭が割れても、筋肉が離れても、鼻が折れてでも、ピッチに戻ろうとした。その気持ちは誇りに思います。その全力姿勢で、たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことが誇りに思います」

 現役ラストマッチになった11月24日のリーグ柏戦。前半途中に味方と接触し、鼻から出血した。選手交代を自ら申し出ることはなく、止血してピッチに戻ろうとした。だが止まらず結局、救急車で病院へ直行。「最後の最後まで自分らしい、と思いました。最後は綺麗な顔で、と思ったが神様の“自分らしくやってこい”というメッセージですね」と笑った。だからこそ今後の日本サッカー界へ、ある願いを抱いている。

 「今は、きれいなサッカーばっかりになっている。その部分を求められる。でも、やっぱり泥臭く、多少、技術がそんなに優れなくても僕みたいに一生懸命やってサポーターに喜ばれる姿勢をなくしてほしくない。そういう気持ちを伝えられる選手が消えてほしくない」

 引き際を具体的に意識し始めたのが昨年終盤。今季はアウェーサポーター席へも挨拶に向かい、プロ19年間の感謝を伝えた。今後は未定。「とりあえずブラジルに帰って、たくさんビールを飲んで、肉を食べて、太って、少しでも皆さんが笑ってくれるような姿になれれば」と笑わせる。闘将は今、少しの充電期間に入る。だが、日本サッカー界には闘莉王がまだまだ必要だ。

《闘莉王と一問一答》
 ―最初に
 「きょうを持ちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人、ファン、サポーターが、こんなしょうもない人間を支えてくれた。感謝の気持ちで心から胸がいっぱい。ありがとうございます」

 ―印象に残っている瞬間、試合は
 「W杯パラグアイ戦のコマ(駒野友一)ちゃんがPKを外した瞬間は凄く印象に残っている。次のキッカーが自分だった。外すのであれば自分でも良かった。蹴れなかったことでどれだけ眠れぬ夜を過ごしたか」

 ―Jリーグの中で印象に残っているシーンはありますか
 「2つ。1つは浦和の初優勝。埼スタがあんなに盛り上がったのは印象的でした。あれだけ喜ぶ瞬間にピッチに立たさせてもらえたのは忘れられない。それと名古屋の初タイトル。会見で“(ストイコビッチ監督を)男にするぞ”という言葉を発信し、自分に対してもプレッシャーが掛かる中で宣言通りのタイトル。その2つは替えの利かない瞬間」

 ―サポーターには
 「若いときには相手サポーターを挑発し、ビッグマウスな一面もあり、ときには自分のサポーターともディスカッションをし(笑)、時にはゲキを飛ばし、飛ばされ、真剣に向き合ってきた。でも最後の最後は常にリスペクトしていました。その人たちがいなければ、この瞬間はないし、サッカーはつまらない」

 ◆田中・マルクス・闘莉王(たなか まるくす とぅーりお)1981年4月24日生まれ、ブラジルのサンパウロ州出身の38歳。渋谷幕張高を経て01年に広島に入団。同年3月11日のリーグ開幕・鹿島戦でプロデビュー。03年にJ2水戸に期限付き移籍し42試合10得点と大ブレーク。同年、日本国籍を取得し10月にU―22日本代表に初選出された。06年にA代表デビュー。10年W杯南ア大会に出場。国際Aマッチ通算43試合8得点。クラブでは06年にJリーグのMVP受賞。ベスト11には9度選出。1メートル84、87キロ。

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