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西野氏「対話」を大事に W杯振り返り「次にバトンを渡せる大会になった」

[ 2018年12月4日 05:30 ]

スポーツニッポンフォーラム「FOR ALL 2018」表彰式 ( 2018年12月3日 )

グランプリ受賞のあいさつを行うサッカーの西野前日本代表監督(撮影・木村 揚輔)
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 初夏の日本を沸かせた功労者が、壇上で激闘を振り返った。西野氏はこの日もおなじみの白いシャツにノーネクタイでダンディーな魅力を振りまきながら「選手が持っているものを発揮し、ドラマチックな戦いになった。次にバトンを渡せる大会にできた」と話した。

 今年4月。解任されたハリルホジッチ氏の後任として、当時技術委員長だった西野氏が代表監督に就任した。重視したのは「対話」。ある主力選手が「ハリルさんの時と比べると対話がある」と話すなど、コミュニケーションを密にして戦う組織をつくり上げた。本大会では1次リーグを1勝1分け1敗のグループ2位で2大会ぶりの16強入り。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では“赤い悪魔”相手に臆することなく打ち合いを演じた。2―3で敗れ日本史上初のW杯ベスト8入りこそ逃したものの、日本列島を興奮の渦に巻き込んだ。

 現在は9日に開催される「JALホノルルマラソン2018」に出場するため、日々トレーニングに励んでいる。この日も「皇居を走ってきた」と爽やかに明かした。新たな挑戦を行う一方で、現場復帰への意欲ものぞかせる。「四半世紀以上現場にいたので、意欲、意思は決して失っていない」。サッカーへの情熱は尽きることがない。

 ◆西野 朗(にしの・あきら)1955年(昭30)4月7日生まれ、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の63歳。浦和西高、早大、日立(現柏)でプレー。攻撃的MFで日本代表として12試合1得点。90年に現役を引退。96年のアトランタ五輪では監督として28年ぶりに日本を本大会出場に導いた。G大阪で05年のJ1優勝、08年のACL優勝などのタイトルを獲得。柏、名古屋などでも監督を務め、J1最多の監督通算270勝を誇る。16年3月に日本協会の技術委員長に就任。18年4月に日本代表監督に就任し、チームを18年W杯ロシア大会ベスト16に導いた。

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