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無名だった森保氏をオフト氏が“発掘” アルゼンチン監督うなった「ボランチ森保」

[ 2018年7月31日 10:00 ]

93年10月、W杯アジア2次予選でプレーする森保(左は堀池)
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 日本代表の元監督で、現在はスペイン・アルメリア在住のハンス・オフト氏(71)がスポニチ本紙のインタビューに応じ、A代表と東京五輪代表を兼任する森保一監督(49)について語った。

 長崎日大高卒業後にマツダのサテライトチームでプレーしていた森保監督の才能を発掘したのが、当時マツダ監督のオフト氏だった。92年4月に発足したオフトジャパンの最大のサプライズが「ボランチ森保」となる。当時23歳の無名MFが初招集され、同年5月に国立で行われたアルゼンチンとの初戦にスタメンで抜てき。0―1で敗れたが、相手のバシーレ監督らが「日本にはいいボランチがいる」と発言したことをきっかけに、日本に「ボランチ」というポジションが広まった。

 4―4―2の中盤の底としてオフト体制での「申し子」となり、92年アジア杯初制覇に貢献。93年10月のW杯米国大会アジア最終予選では全5戦中4試合にフル出場。イラクとの最終戦も最後までピッチに立ったが、ロスタイムで失点してW杯切符を逃す「ドーハの悲劇」を経験した。

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