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元日本代表監督・石井義信さんが日本サッカー界に残したもの

[ 2018年4月28日 10:00 ]

日本代表元監督・石井義信(1988年)
Photo By スポニチ

 【大西純一の真相・深層】サッカー元日本代表監督の石井義信さんが4月26日に亡くなった。79歳だった。今年に入って体調を崩して入院していたものの、約1カ月前には「退院して、通院になるんだ」と話していただけに、驚くばかりだった。

 石井さんは85年に森孝慈監督がW杯メキシコ大会予選を突破できなかった責任を取って退任した後を受けて就任した。ソウル五輪まで時間がなかったために、森さんのスタイルやメンバーを踏襲したうえで、守備を重視した戦い方をした。ソウル五輪出場を果たせなかったために2年間で退任したが、日本のサッカー界が一番苦しい時期だった。

 当時は既にメキシコ五輪銅メダルの遺産も使い果たし、日本リーグもスタンドは閑散としていた。韓国はプロリーグを設立して力をつけていたのに対して日本は86年に西ドイツで活躍した奥寺康彦が帰国したのを機にようやく「スペシャルライセンスプレーヤー」という制度を作って、プロへの第一歩を記したばかりだった。

 森さんが退任した理由のひとつに日本代表監督のプロ化が受け入れられなかったこともあった。ほかにも何人かの候補に断られたすえに白羽の矢が立ったのが石井さん。フジタの社員で出向で就任した。

 90年代に入り、日本はプロサッカーリーグ設立へ舵を切り、Jリーグ開幕が実現した。日本代表監督を退任後、石井さんはフジタのJリーグ参入に奔走した。フジタがベルマーレから撤退後は、日本協会強化委員として北京五輪代表のサポートやFC東京のアドバイザー、日本代表OB・OG会の仕事などを行っていた。その傍ら、岡村新太郎コーチとはよく食事していた。岡村さんが13年に亡くなると、毎年ゴールデンウイークに岡村さんの墓参りを欠かさなかった。奇しくも石井さんが亡くなったのは、岡村さんの5度目の命日の4月26日だった。

 今頃岡村さんと再会して日本のサッカーについて語り合っていると思う。森さんや石井さん、横山謙三さんがいたからメキシコ五輪銅メダルと今日がつながった。歴代の日本代表監督は皆サッカー殿堂入りしている。華やかな実績は残していないが、石井さんの功績もぜひ評価してほしいと思う。

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2018年4月28日のニュース