木之本興三氏 夢を追いかけ、歴史を変えた先駆者

[ 2018年1月31日 12:00 ]

Jリーグ専務理事、日本サッカー協会常務理事などを歴任した木之本興三さん
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 Jリーグ専務理事、日本サッカー協会常務理事などを歴任した木之本興三氏(享年68歳)が亡くなったのは昨年1月15日だった。

 丸1年がたち今月17日には千葉市内のホテルで「木之本興三氏を賑やかに語る集い」が開催され、日本サッカー協会の田嶋幸三会長、同協会最高顧問の小倉純二氏、元日本代表の永井良和氏、ラモス瑠偉氏らが出席して思い出を語り合った。

 木之本氏は県立千葉高から東京教育大(現筑波大)を経て日本リーグの強豪古河電工(現ジェフ千葉)に入った。しかし26歳の時に病魔に襲われる。75年1月、練習中に吐血。グッドパスチャー症候群と診断された。

 グッドパスチャー症候群とは肺や腎臓が冒される自己免疫疾患。治療しなければ90%以上が死亡する重篤な病気だ。腎臓を全摘出。1週間に3回の人工透析が欠かせなくなり引退を余儀なくされた。

 ボールを蹴ることはできなくなった。だがサッカー愛が消えることはなかった。日本にプロリーグを作るという夢を抱くようになった。83年日本リーグの事務長に就任。人工透析を受けながらプロ化に向けて奔走した。

 「語る集い」には、木之本氏の妻・広美さん、長男・尚輝さんも出席した。親族代表としてあいさつした尚輝さんがエピソードを明かしてくれた。

 93年5月15日、国立競技場でJリーグ開幕試合・ヴェルディ川崎―横浜マリノス戦が行われた。尚輝さんは友人とともにスタンドで観戦した。

 「試合中、ロイヤルボックスを見ると、父親が天を仰いでいた。泣いていたのです。父親の泣いた姿は見たことなんてなかったので驚きました。あれはうれし涙だったのでしょうか。もう確かめることはできませんが…」

 木之本氏は、古河電工に勤務していた83年にサッカー部のプロ化を提言しながら会社に一蹴された。以来、反対されながらも追い続けてきた夢が10年越しで実現したのだ。頬を伝ったのはうれし涙だったに違いない。

 木之本氏は02年W杯日韓大会で日本代表の団長を務めたが、大会中にバージャー病を発症する。バージャー病は手足の動脈および静脈に炎症が起こり、そこに血栓ができて血管をふさぐ病気で悪化すると組織が壊死する。治療を行ったものの、後に両足を切断した。

 03年Jリーグ事務局からも離れた。それでもサッカー愛は変わらなかった。08年には故郷千葉市にアブレイズ千葉というクラブチームを立ち上げてJリーグ参入を目指した。

 Jリーグが開幕して四半世紀。スタンドに閑古鳥が鳴いていた日本リーグ時代を知る選手はほとんどいなくなった。無謀と言われながらも必死で夢を追いかけて歴史を変えた人たちがいたことを忘れてはならない。(専門委員)

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