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フロンターレ流の成功

[ 2017年12月9日 09:45 ]

Jリーグ優勝を果たし、風呂桶を掲げて喜びを爆発させる小林悠(中央)ら川崎Fイレブン
Photo By スポニチ

 【大西純一の真相・深層】川崎フロンターレが悲願のJ1初制覇を達成した。これまで年間日本一になったのはV川崎、横浜、鹿島、浦和、磐田、G大阪、柏、広島、名古屋と、93年の開幕時に参加していたオリジナル10と準会員だった4チームの中からだけだったが、川崎Fが25年目で新たな一歩を記した。

 川崎Fは富士通サッカー部を母体に、96年に設立、05年からJ1に定着している。攻撃的なサッカーは見ていて面白く、地域と良好な関係ができていることもあって等々力はいつも満員だ。練習場でもファンサービスを重視し、地域密着を掲げるJリーグの手本といっていいだろう。

 川崎市はかつてプロ野球のロッテが川崎球場を本拠地にしていたが、「川崎市はイメージが悪い」といって千葉市に移転した。93年のJリーグ開幕時にはV川崎が等々力を本拠地にしていたが、こちらも当初から東京移転を公言し、“腰掛け”だった。

 こんな話を聞いたことがある。Jリーグ開幕直後、ブームが頂点で毎試合満員だった頃のことだ。川崎市内の商店街の関係者がV川崎の関係者に「私たちも応援したいので、チケットを回してもらえないか」と頼んだところ、「地元に回すチケットはない」と断られたという。2〜3年後、観客動員が落ち始めた頃、その商店街関係者に「応援してほしい」とチケットを売りに来たというが、「あのとき何て言いましたっけ」と、きっぱりと断ったという。

 川崎Fは母体となった富士通の工場が川崎市内にあり、当初から地域と密着し、ロッテやV川崎とは姿勢が違った。イベントにも積極的に選手を派遣、1月には市内の商店街を選手が数人ずつに分かれてあいさつ回りをするのも恒例になっている。練習も公開で、練習後には積極的に選手がサポーターと触れ合う。米国のスポーツ事情などを研究して打ち出したもので、選手を獲得する際にも「うちはファンサービスを重視しているので、やってくれるか」と、確認するという。生え抜きの中村憲剛や小林悠だけでなく、移籍してきた大久保嘉人(現FC東京)も練習後、30分近くサポーターと交流することもあるほどだ。

 これはクラブの姿勢が明確だからだ。「欧州では練習を見せるチームはない」という人もいるが、これは習慣の違い。「勝つために、練習は非公開で」「監督が練習に集中させたいと言っているので、ファンサービスはできない」というクラブもあるが、川崎Fは「フロンターレ流」を貫き、結果を出した。

 川崎Fの初優勝が、チーム強化とファンサービスが両立することを証明した。これがJリーグが創立時に理想として掲げたもの。「フロンターレ流」を目指すチームが増えれば、Jリーグはより地域に密着していく。これが真のJリーグの成功でもあると思う。



 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

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2017年12月9日のニュース