ハリル監督“後ろ盾”霜田氏失い解任と背中合わせの1年

[ 2017年9月4日 08:00 ]

ハリルホジッチ監督(右)と一蓮托生だった霜田氏
Photo By スポニチ

 【ハリルJアジア戦記】W杯アジア最終予選に向けて準備を進めるハリルホジッチ監督に、ピッチ外で想定外の事態が起きた。16年1月の日本協会会長選挙で、田嶋幸三副会長が原博実専務理事(現Jリーグ副理事長)との一騎打ちを制して新会長に就任。日本協会トップの交代を受けて組織改編が進み、監督を評価する機関である技術委員会の顔触れも大幅に変わった。

 ハリルホジッチ監督の招へいに尽力した霜田氏が、16年3月に技術委員長から平の技術委員に降格。新技術委員長として西野朗氏が招へいされた。ベンチ入りして采配をサポートするなど指揮官と一蓮托生(いちれんたくしょう)だった霜田氏と違い、西野氏はフラットな目線で監督を分析、評価。霜田氏は新設されたナショナルチームダイレクター(ND)に就いたが、日本協会内での権限、発言力は大幅に低下し、ハリルホジッチ監督は“後ろ盾”を失った。

 逆風の中で迎えた16年9月1日の最終予選初戦のUAE戦(埼玉)で最悪の結果が待っていた。1―2で逆転負け。この時点で過去に最終予選で黒星発進した国が予選突破した例はなかった。W杯出場確率0%の負のデータとともに、進退問題が浮上。日本協会は同9月6日のタイ戦(バンコク)、同10月6日のイラク戦(埼玉)の下位との連戦で勝ち点を落とせば、解任の方針を固めていた。

 タイには2―0で勝ったが、イラク戦は1―1のまま90分を経過。引き分けムードが漂う後半ロスタイム5分に山口の劇的決勝弾が生まれた。何とかクビはつながったが、16年12月には霜田NDが辞任。UAE戦後から、8月31日のオーストラリア戦でW杯出場を決めるまで、解任と背中合わせの戦いが、ちょうど1年間続くことになる。(特別取材班)

続きを表示

「サッカーコラム」特集記事

「メッシ」特集記事

2017年9月4日のニュース