×

DF舩木のサッカー人生「松ぼっくりを蹴った左足から始まった」

[ 2017年5月18日 05:30 ]

U20W杯で「結果を残す」と色紙に書いた舩木
Photo By スポニチ

 松ぼっくりを蹴った左足で、世界に挑む。U―20W杯韓国大会に臨むU―20日本代表のDF舩木翔(19=C大阪)が、大会前にスポニチ本紙のインタビューに応じた。左利きを生かした攻撃力を持ち味としており、優勝した昨年のU―19アジア選手権で定位置を確保した左サイドバック。過去を振り返り、初めて臨む世界大会への抱負を語った。

 ―世界を初めて意識したのは?

 日韓W杯ですね。森島(寛晃)さんが活躍していたし、その頃にサッカーを始めて“こういう大会に出たいな”と漠然と思いました。(当時は)4歳でしたね。

 ―その頃からボールを蹴り始めた?

 お父さんが野球をやっていたんで、元々は公園でキャッチボールをしたりとか、野球をやっていたんです。それが、広島におじいちゃんが住んでいて、3歳で宮島に旅行に行ったときに松ぼっくりが落ちていて。それを自分が左足で蹴っているのをお父さんが見て“左利きでサッカーをやった方がいいんじゃないか”と言って、サッカーになったみたいなんです。自分の記憶にはないんですけどね(笑い)

 ―すごい話ですね…。それからずっと左利き?

 ずっと、ですね。“左しか蹴られへん”みたいな。小さい頃はロベカル(元ブラジル代表DFロベルト・カルロス)になりたかったんです。幼稚園や小学校のとき、ロベカルの長い助走をまねてFKを蹴っていましたね。左足で局面を変えられる選手が今でも理想です。

 ―U―12からU―15、U―18、そしてトップ昇格とC大阪ひと筋。順風満帆でしたか?

 “セレッソでプロになりたい”という夢が揺らいだことはなかったけど、高校に進むとき“セレッソのU―18には上がらんとこう”と思った。面談で上がれると言われたけど、高体連に行きたくて一回は断りました。ただ、家族や指導者の方に説得されたし、広島のおじいちゃんが“ユースの方が伸びるんちゃうか”と電話で言ってくれて。

 ―広島のおじいちゃんは舩木選手の転機によく出てきますね。

 実は、本当はおじいちゃんじゃなくて、おじさんなんですよ。お父さんのお母さんのお兄さんで、おじさんだと気づいたのは小学校に入ってから。普通のおじさんですけど、今でもおじいちゃんって呼んでいます(笑い)。U―18に行ったのは、最終的におじいちゃんの電話で決めました。

 ―C大阪U―18から今季、トップに昇格。目標としてきたW杯は目前です。1次リーグの相手の印象を。

 ウルグアイはめっちゃ強いと思っています。(昨年12月の)遠征でアルゼンチンと試合をしたんですけど、相手はガチのメンバーじゃなかったのに負けたし、予選ではアルゼンチンよりウルグアイの方が順位は上。スタイルは堅守速攻で、FWに2人、エグい(上手い)のがいるんです。イタリアは守備が固くて、南アフリカは身体能力の高さ。3チームそれぞれスタイルが違うし、どことやるのも楽しみですね。

 ―最後に目標を

 チームとしては優勝。個人としては、結果を残すこと。勝たないと意味がないと思っているし、自分が結果を残して勝ちたい。代表では学年的に下の方ですけど、遠慮は一切せず、チームで一番走りたい。

 ◆舩木 翔(ふなき・かける)1998年(平10)4月13日生まれ、奈良県出身の19歳。幼稚園の年中で元気?サッカークラブに入り、両立していた香芝フットサルパークとC大阪スクールを経て、小学3年でC大阪U―12へ。同U―15、同U―18を経て、今季からトップに昇格。3月15日のルヴァン杯横浜戦でプロデビューを飾り、今季は公式戦5試合に出場。1メートル77、65キロ。利き足は左。

続きを表示

この記事のフォト

2017年5月18日のニュース