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カズは野球選手でも一流になったはず

[ 2017年3月1日 08:30 ]

2月26日の松本戦でシュートを放つ横浜FCのFW三浦知良。この日誕生日を迎え、Jリーグ史上初めて50歳で出場
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 【大西純一の真相・深層】横浜FCのFW三浦知良が2月26日のJ2開幕・松本戦で先発出場。自らが持っていたJリーグの最年長出場記録を50歳に伸ばした。

 サッカーのプロ選手として公式戦に出場するのはすごいことだし、カズの日頃の努力があってこそ。シャツを脱いだ時に見える腹筋、背筋は50歳には見えないし、食生活や睡眠などのコンディション調整も、並大抵ではないはずだ。

 カズを初めて取材したのはプロリーグ開幕が決まった直後の91年1月、読売サッカークラブに加入して半年たった頃だった。背番号はまだ代名詞の11番ではなく24番。日本代表でも20番だった。だが、ブラジル仕込みのドリブルと、シザース(またぎフェイント)、思い切りのいいシュートが光っていた。

 練習終了後に「プロリーグができても、誰か日本人のスター選手がいないと話題にならない。カズしかいない」などと本人を交えて雑談した記憶がある。サッカーの技術があり、若くてイケメンで、コメントも面白いからで、そのとおりにJリーグを代表するスターになった。もっとも当時の読売クラブはカズ、ラモス、武田修宏とキャラクターのある選手が3人もいて、紙面づくりには困らなかった。

 カズの運動能力の高さに驚かされたことがあった。92年頃だった。練習終了後、カズは同じよみうりランド内にあるジャイアンツ球場へ向かった。用事が終わり、室内練習場で巨人の関係者にあいさつすると「打ってみる?」と勧められた。さっそくバットを借りて、左打席に立った。プロ選手が練習する打撃練習用のマシンは130〜140キロは出る。30球ほど打ったが、ほとんど空振りすることなく打ち返した。途中から右打席にスイッチしたが、こちらでも巧みにバットに当てた。感想を聞いてみると「硬球を打ったのは初めて」で、野球もほとんどやったことはないといっていたと思う。見ていた巨人の関係者も「たいしたものだ」と感心していた。

 野球の選手になっていても、日本を代表する選手になっていたかもしれない。このセンスが50歳までプレーを可能にした原点かもしれない。(専門委員)

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

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2017年3月1日のニュース