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浦和の心臓 柏木&槙野の変わらぬ絆 元寮長が語る若き日の2人

[ 2016年10月30日 08:40 ]

広島ユースの元寮長の稲田稔さん(左)と元寮母の妻・敏子さん
Photo By スポニチ

 94年から17年間、広島県安芸高田市内の広島ユース寮「三矢寮」の寮長を務めた稲田稔さん(71)が、かつての教え子である日本代表MF柏木陽介(28)、同DF槙野智章(29)との思い出を語った。生い立ちも性格も対照的な同学年の2人。ユース時代に深めた絆が、浦和の第2S優勝の原動力にもなった。

 浦和、そして日本代表でも同じチームメートとして活躍する柏木と槙野。03~05年の3年間、広島ユースの三矢寮で成長を見守った稲田さんは「陽介は優しい人柄」「槙野は明るい子」と2人のことを振り返った。10年以上が過ぎた今でも思い出は色あせていない。

 柏木は苦労を糧にしてはい上がった。「両親が離婚して母親に育てられた。裕福ではなかったように思う」。発熱しながら登校し、保健室で寝ていた日があった。「病院に行くとお金がかかると思ったみたいです」。プロ入り後、熱心に親孝行していたことも知っている。「母親へ(出身地の)神戸にマンションとお店を買ってあげた」。柏木は今年3月にTBSの佐藤渚アナウンサーと結婚。稲田さんが住む広島県安芸高田市の実家にも2人であいさつに訪れたという。

 一方、槙野は奔放に育った。稲田さんが「よく怒っていました」と苦笑いするほど。裸で寮を走り回ったり、バスで移動中に通り過ぎる女の子を見て、はしゃいでいたのを覚えているという。「ちょっとしたことで想像を膨らませる子だった」という。そして根っからの目立ちたがり屋。「チームで写真を撮る時にはいつも真ん中に座ろうとした」。

 正反対のキャラクターだった2人。優等生タイプだった柏木にとって忘れられない槙野との思い出がある。入寮当初、壁にぶつかり、やる気を失った時があった。すると槙野から「(実家に)帰りたいやったら帰ればいいやん」と言われ、目を覚ました。時には連帯責任で2人とも丸刈りにしたこともあった。今ではいい思い出だ。稲田さんが見守った3年間に絆を深めた2人は今、浦和を背負ってピッチに立っている。

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